※伊作さん病んでます


同室である留三郎が一人任務の為に出掛けている今夜、それならば早々に乱太郎の部屋へ行き二人で過ごそうと思い立った伊作は、先程食堂のおばちゃんに手伝いの報酬として貰った饅頭と程良い温度に淹れたお茶を手に薄灯りの漏れる戸を控えめに叩いた。
今夜は自分と留三郎、乱太郎の三人で夜を過ごす日であったが、留三郎のあの感じでは今夜は乱太郎と二人夜を過ごす事になるのに間違いはないだろう。
勿論任務の内容を聞いた訳ではないが、留三郎の顔に浮かぶあの焦れたような色を見ればすぐに解ってしまった。


(あれじゃあ忍者失格だよね)


こと乱太郎に係わる全てに対して、自分を含めた六年生全員は忍者のあるべき姿勢や考え方をグズグズに崩され壊されてしまう。
あの沈着冷静である仙蔵や長次でさえもそうなのだから、猪名寺乱太郎という人物は本当に怖い。


「はぁい」


つらつらとそんな事を考えていると、部屋の中から声がして静かに戸が開かれた。
今正に「怖い」などと考えられていたその人物は、その言葉とは全く逆の位置にある笑顔を浮かべて伊作を招き入れる。


「あ、やっぱりお留さんは今夜遅いんだね」


伊作が一人で尋ねて来たのを確認すると、どうぞ、と伊作の手から饅頭やお茶の乗った盆を受け取って座るように促した。


「ああ、うん」

「任務先が少し遠い、みたいな事言ってたもんなぁ」

「え、そんな事言ってたの」

「あはは、違うの。お留さんの独り言をわたしが勝手に拾っただけ」

「そう」


(わざと聞こえるように言ったな)


伊作は思わず心の中で舌打ちをしてしまう。
それは留三郎のほんの少しの願望から出た行動の筈だ。
この優しい子に心配されたい、ほんの少しこの子の心に波紋を投げておきたいという願望。


(そんな事しなくっても乱太郎は心配するし気にかけるよ)


そう、それは皆同じように、平等に、分け隔てなく。
留三郎のそれはきっと、無意識にそれを嫌がった結果なのだろうが。


「いさちゃん?」

「ん、何でもないよ」


乱太郎が目の前に置いてくれたお茶に手を伸ばすと、それをずずっと一啜りしてほう、と息を吐く。


「それにしても静かだねぇ」


乱太郎のいう通り、今夜の忍術学園は珍しく静かなものだった。
何時も何事か学園に持ち込んでくる一年は組の良い子達も今夜は既の夢の中なのであろう、その声が聞こてくる事はない。
予習、復習や個人での鍛錬に勤しんでいる者の気配も何時もより少ない気がした。


「あ、こへちゃんや文さんが居ないからかな」

「ああ、そうかも」


留三郎の任務とは別に、六年い組、ろ組の四人も揃って学園外へと出掛けていた。
い組は教師と共に校外学習へ、ろ組の二人はそれぞれの課題をこなす為、流石に六年生ともなると学園内に留まっていることの方が少ない。


「何か寂しいなぁ」

「そう?体育委員会の子達は喜んでるかもよ?会計委員会の子も」

「いさちゃんてば。まぁ、確かに久しぶりに安眠できるって喜んでた子もいたけどさ」

「ほらね」

「むぅ~。はぁ……六年生になった途端皆と顔会わせる時間が極端に減っちゃって、分かってたけどやっぱり」


両の掌で湯飲みを遊ばせながらしゅんと眉を下げる乱太郎に、伊作はジリリと胸の奥が音を立てるのを聞く。


「寂しい?」

「うん。こうやって少しずつ皆と別れる準備をさせられてる気分になっちゃって。ずっと一緒に居られる訳も無いんだから当たり前なんだけど……」

「そうだね。それぞれ進む道を選んで、卒業したら二度と顔を見られない人もいるかもしれない。それこそ敵になったりとか」

「うん、うん。分かってるよ」

「泣きそうな顔」

「だって、想像したら、寂しくて」


六年生になり急に現実味を増して来た『別れ』というものに、乱太郎の表情はみるみる内に崩れてしまう。
伊作の放った『敵』という言葉が、乱太郎の心の中の柔らかな部分を想像以上に突き刺しているのが手に取るように分かってしまった。


「悲しいんじゃなくて、寂しいんだ?」

「悲しくは、ないよ。寂しいの」

「そう。うん、寂しいね」

「うん」


伊作の言葉に頷いた拍子に、乱太郎の瞳からするりと音もなく綺麗な球が滑って落ちた。
しかしそれはたった一粒だけが転がって、それ以上跡を追ってくるものは無い。


「あ、ごめん。ヤだなぁ」


音も無く滑り落ちた水滴がポツリと音を立てて膝に落ちるのを聞いて、乱太郎はコシコシと目元を擦って笑って見せる。


「まだまだ先だよ。僕達は六年生になったばかりじゃないか」

「そうだね」

「例え誰かが敵になるとしても、それはまだ先の話」

「うん」


慰めているようでそうでない。
俯いている乱太郎を見つめながら、伊作は薄っすらとした笑みを唇の端にだけ浮かべて眼を細めた。
そして次の瞬間、俯く乱太郎の顔を覗き込むようにして、先程の薄ら笑いとは全く違う綺麗な笑みを浮かべる。


「もし乱太郎が寂しいならさ」

「うん?」

「僕が傍に居てあげるよ」


優しい声で彼の耳元に風を送るように囁いた。


「いさちゃん」

「ね、傍にいる」


伊作の囁く声に乱太郎が僅かに視線を寄越しただけで、伊作の瞳と乱太郎の瞳はバチリとぶつかり合って結ばれてしまった。
そしてそれを解く事を伊作は許さない。


「敵になんてならないよ」

「でも」

「ならないよ」


瞳の中一杯に乱太郎の今また泣き出しそうな表情を映して、伊作は極上に優しい笑みで囁いた。
それを見た乱太郎の指が僅かに動いて、伊作の着物の裾を捕まえてキュ、と力を込める。


「う、ん」


ほんの僅かにしか開いていなかった伊作との距離を、乱太郎が彼の肩口に頭を乗せて静かに頷く事で埋めると、途端に伊作が強い腕の力で包み込んでしまう。


「いさちゃ、」

「ずっと傍にいるから」


痛い、苦しいくらいの力で、それはもう抱きしめているというよりは抱きすくめると言った方が正しい状態で、伊作はまた乱太郎に分からない様に薄っすらと笑みを浮かべる。


「乱太郎に寂しい思いなんて絶対にさせない。ずっと一緒だよ」


身動きも取れぬ腕の中で、乱太郎はスン、と鼻を鳴らして伊作に体を預ける。そして


「うん。ありがとう、いさちゃん。ずっと一緒に居てね」


と小さな声で答えて顔を埋めた。
くぐもった乱太郎の声を聞いた伊作は、薄ら笑いの唇とは反対に目元を優しい薄桃色に染める。
仄暗い瞳の奥と桃色に染まる目元、張り付いた口角の笑みが混ざり合ったその表情は一見狂気の沙汰にも見え、その実純粋に歓喜している様にも見えた。


(僕が傍に居てあげる。ずっとずっと一緒だよ)


繰り返し繰り返し同じ事ばかりを言い、思い、伊作は一層腕の中の乱太郎を想い桃色の目元を染め上げる。


「乱太郎、ずっと、一緒だよ」



(そう、僕が傍にいてあげる。僕が、僕だけが)



「一緒にいるよ」



(だから、他にはいらないよね?)



腕の中の乱太郎が、ほんの僅かビクリと肩を震わせた気がした。








夢に見ちゃった伊作さん話。
乱太郎さんを確実に独り占めする為に「一緒にいてね」と言葉にさせたみたいです。
言葉を貰ったのだからもう乱太郎の隣は自分だけのもの。
勝手に乱太郎さんの言葉を呪詛にしちゃった伊作さん。
どうも伊作さんは黒くなったり病んだりしがち。
ごめんね。



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