今日の医務室も朝から相当騒がしかった。
本日の当番は二年生の川西左近と六年生の猪名寺乱太郎であるが、この猪名寺乱太郎という人物が医務室に居る日は本当に忙しい。
普段だったら絶対に放っておくだろうと思われる極々軽い怪我から、お前本当に病人か?と言いたくなるような顔色の良い病人まで、そりゃもう続々と人が押し寄せて来る。
今もわらわらと集まって来た五年生達で医務室の中は相当狭っ苦しい事になっていた。
元々この部屋は怪我人や病人を寝かせる事を考えてかなり広い造りになっているのだが、体の出来上がりつつある彼らが一堂に会していると結構辛い。
流石に大声を出したりする非常識さんはいないが、それでも人数が多ければ自然と雑音や話し声が耳につくわけで。
早く帰らないかなこの先輩達……と、左近は溜息を吐かずにはいられなかった。


「さっちゃん、大丈夫?」


そんな小さく吐き出した溜息を聞いていたのだろう、乱太郎が顔を覗き込むようにして訊ねてきた。
これに左近はひっくり返りそうになるほど驚いて、両手をぶんぶんと振って「大丈夫です!」と返す。少しの恋情も含めた意味で憧れている人に、急に至近距離で瞳を合わせるような真似をされたら心臓が止まってしまいそうだ。


「疲れたら言ってね、休憩しても全然構わないし」

「はい、ありがとうございます」


にこりと微笑むその人に「やっぱり可愛いなぁ」なんて頭の方隅で思っていると、突然二人の間に影が落ちてきた。


「乱ちゃんせんぱーい、何のお話?」


五年の鉢屋三郎である。
乱太郎の背後から近付き、のしっと肩に顎を乗せて口を尖らせている。
所謂膨れっ面というヤツであるが……全く可愛くない。


「重いよ鉢屋くん。ちょっとね、さっちゃんが疲れてるみたいだったから休憩しようかって話てたの」

「え、乱ちゃん先輩休憩するの?じゃあ私に構ってくださいな」


言いながら、これ以上はないんじゃないかというくらいの顔で笑いするりと乱太郎の腰に腕を回した三郎、だったが


「何言ってんの。あと何してんの?三郎」

「げ、雷蔵!」


その途端、左近の背後に立った雷蔵にもの凄い威圧感と共に言われてしまった。
傍目には先ほどの三郎に負けないくらいの良い笑顔を浮かべているのだが、この笑顔が何より怖い事を五年生全員が知っている。


「大体三郎が『ちょっと怪我したから乱太郎先輩に手当てして貰ってくる』って行ったきり、何時までたっても戻ってこないから迎え(連れ戻し)に来たのに!何で皆まで着いてきて、しかも居座ってるの?!」

「えー?だって俺も乱太郎先輩に会いたかったし」

「八は何だかんだで結構乱太郎先輩と顔合わせてるだろ、毒虫逃がしては手伝って貰ってるの知ってんだぞ!学級委員長委員の俺なんてほっとんど顔合わせる事ないんだからな!」

「乱太郎先輩、今夜一緒に湯豆腐しませんか?!」


もう滅茶苦茶である。


「はいはい皆、ここは医務室だから騒がないの。鉢屋くんも手当てが終わったんだからそろそろ帰りなさいな。あ、でもまた明日怪我の状態見せに来てね」


乱太郎が肩の上にある三郎の頭をポンポンと軽く撫でると、三郎が「はーい」とご機嫌な声と笑顔を返す。
そんな二人を目の当たりにした他の五年生が黙っている筈は当然なく、やっと静かになるかと思われた医務室は一気にまた騒がしくなってしまった。


「三郎ずるい!!」


勘右衛門が叫んだのを皮切りに


「乱太郎先輩、俺の頭もポンポンってして下さい!」

「八の頭は蜘蛛の巣絡まってるから駄目。乱ちゃん先輩の手が汚れる」

「え、嘘?!何で早く言わないんだよ!」


と、竹谷と三郎が言い合いを始め


「おれは乱太郎先輩の頭撫でる方が良いなぁ。ついでにギュってさせて貰いたい。あの絹豆腐の様な肌は絶対気持ち良いと思うんだよね」

「ぎゅっとしたいのは同意するけど、何で絹豆腐のような肌なんだ?!絹のような肌で良くないか?!」


などと兵助と勘右衛門が言い出す。
先ほど以上に無茶苦茶である。
そんな五年生達に「あーあーまた」と眉間を指で押さえる左近に、「こら、病人が居ないからってあんまり騒がないの」なんて、叱る気があるのかないのか……な乱太郎。
いやいや、こう見えてこの猪名寺乱太郎という人は本気で怒ると結構怖いのだ。ここに体調の優れない者が一人でもいたらこんな騒ぎは絶対に許してはくれないだろう。
今は「まぁ皆元気だし、暴れてるわけでもないから良いか」と見逃してくれているのだ。
そんな状態の医務室の中に


「良いからほら帰るよ!これ以上乱太郎先輩に迷惑かけたら嫌われるからね!」


と声を上げる者が一人、不破雷蔵である。


「それは嫌だ!」

「何てこと言うんだ雷蔵!想像して泣きそうになっちゃっただろ!!」

「乱太郎先輩嫌わないでー!」


ある意味『乱太郎至上主義』とも言える五年生の面々は、雷蔵の放ったその一言にギャー!と過剰反応を示して震え始める。
そんな様子に「おや?」と思うも、乱太郎は「丁度良いからこのまま帰って貰っちゃおう」と少し黒い事を考えて雷蔵の言葉に乗っかる事にしてしまったようだ。
しかし基本的に何故五年生の面々がそこまで怯えているのかは分かっていない。
誰かに嫌われるのって怖いもんね、くらいに捉えている。


『嫌わないよね?!乱ちゃん(乱太郎)先輩!!』


そんな状態の乱太郎に、イヤー!と顔にデカデカと書いた三郎他五年生の面々が乱太郎にしがみ付くも


「さぁねぇ、どうでしょう?そうだな、あまりにも友達を困らせるような子や迷惑をかける子は嫌いになっちゃうかもしれないよ?」


と、小悪魔の笑みで言われてしまった。
もう可愛いやら魅力的やら、でもそんな事になったら死んでしまう!と色んな事が一気に頭を駆け巡った面々は


『か、帰ります!!』


と素早く立ち上がると、やれやれという顔をしている雷蔵を引きずるようにして医務室の戸に手をかける。
そんな後輩達に乱太郎は思わずクスリと笑みを零し、焦りながら出て行こうとする彼等の背中に声をかけた。


「雷蔵くん、いつもありがとう。鉢屋くん、明日忘れずに来てね。久々知くん、尾浜くん、竹谷くん、また遊びにおいで」


その言葉に音がしそうな勢いで振り向くと、にこにこと優しい笑顔で座っている先輩がこちらに手を振っていた。
その様子に、焦ってこの世の終わりだ!みたいな顔をしていた五年生達は一転、自分達も特上の笑顔を浮かべて


『はい!失礼しました!』


と、挨拶をして静かに戸を閉めた。
その後暫くはやれ今日も可愛かっただの、あの笑顔の為なら何でも出来るだのとわいわい廊下が騒がしかったものの、それもすぐに遠くなって静かになった。
漸く本来の静けさを取り戻した医務室に、乱太郎と左近は一瞬「あれ?ここってこんなに広かったっけ?」と思わず首を傾げてしまったが、それもすぐに去って二人顔を見合わせて笑いあった。


「賑やかだったねぇ。上級生ばかりで気疲れしたでしょ?今度こそ本当に休憩にしようね、さっちゃん」


そう言ってまたクスクス笑う彼に


「本当、乱太郎先輩と一緒だと何時も大変です」


と少しツンとして答えておいた。
ちょっと放っておかれてしまった事への八つ当たりだ。
しかしそんな自分の態度にも「本当ね。さっちゃんがしっかりしてるから、わたしもつい頼っちゃうし」と乱太郎が笑うので、ちょっと困らせてやりたい気持ちとは裏腹に顔は緩んでしまうのだった。
そして


「さっちゃん、いつもありがとう」


と微笑まれれば、もう左近は降参するしかない。


「い、良いんです。頼りにして頂けるなんて嬉しいですし。わたし達は優しくてちょっとドジな、そんな乱太郎先輩が好きなんですから!」


そう言って、ほんのり熱い顔を隠すようにして「お茶入れてきます!」と立ち上がった。
後ろでは「えー、やだ照れちゃう」なんて言っているのが聞こえてきたが、それには左近は聞こえないフリを決め込むことにして


(本当ですよ。きっと五年生の皆さんも同じです)


胸の中だけでそう返事をしておいた。



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