「あ、いさちゃん」


六年合同の実習授業を終え汚れた手拭いを井戸まで洗いに行っていた乱太郎は、長屋の廊下に勢揃いで腰掛けお茶を啜っている伊作に声をかけた。
おかえり、と言ってくれた留三郎にただいま、と笑顔で返し、自分の分のお茶を差し出してくれた長次に礼を言って伊作の隣に腰掛ける。
その横に素早く移動してきた小平太に笑いかけ、髪が乱れてる、と手櫛で直してくれた仙蔵に礼を言う。次いで饅頭食え、と差し出してくれた文次郎にも笑顔で礼を言った。
同級生達がこんな風に乱太郎を構うのは日常茶飯事の光景だ。



「今日の医務室当番の事なんだけど」

「ん、何?どうかした?」

「さっきそこで伏ちゃんに会ってね、は組と合同で急に校外実習に行くことになったので、夕方からの医務室当番代わってくれませんか?って言われました。あと、委員長の所へ直接お伺い出来ず申し訳ありませんって、本当良い子だよね伏ちゃんって!あれ、そういえば今日の夜当番って誰だっけ?」

「ぼくだよ」

「そうだった。夜のお当番、わたしと一緒で良いかな?」

「良いに決まってるじゃない!」

「あは、ありがとう。あ!」


前のめり気味で答える伊作に笑顔を向けると、六年長屋の少し向こう側を歩いてくる川西左近を見つけて声をあげる。その横ではだらしない笑顔を浮かべる伊作に、同級生達が嫉妬の八つ当たりを繰り広げていた。と言っても小さく抓るだとかその程度だけれど。


「さっちゃん!火縄銃の自主練?」


突然声をかけられた左近は一瞬驚いた顔をしたが、乱太郎の姿を認めるとピシっと背筋を伸ばして「はい!」と答える。
その横には左近の同級生である三人の姿もあったが、皆一様に勢揃いしている六年生に緊張しているようだった。


「わたし、二年生の時は補習授業ばっかりで自主練どころじゃなかったからな~。三治郎さん、久作さん、四郎兵衛さん、頑張ってね!あ、さっちゃん、皆も怪我しないように!!」

「はい!ありがとうございます」

『ありがとうございます!』

「じゃあいってらっしゃーい」


ぶんぶんと手を振って二年生を見送ると、ほぉ、と息を吐いて笑う。


「皆頑張ってるね~、先生でもないのに何か嬉しくなっちゃう。ね!」


そう言って横を見れば、小平太が何事か考えている顔でこちらを見つめていた。


「なに?」


あまりにジッとこちらを見つめてくるので、何となく落ち着かない。


「乱太郎は何故二年生を『さん』付けで呼ぶんだ?と思って」

「そういえば、同じ二年生の左近は違うのにね」


と伊作が話題に乗っかると、同級生達が次々とそれに食いついてくる。


「五年は基本苗字に君付けだな」

「不破雷蔵だけは名前じゃなかったか?」


仙蔵が言えば、文次郎が付け加える。
確かに五年生を呼ぶ時、乱太郎は雷蔵だけ名前で呼んでいた。


「なんで?」

「なんでって、うーん。他の子より仲が良いから?」

「大概一緒にいる鉢屋は苗字なのに?」

「雷蔵くんは図書委員だから。鉢屋くんよりちょっとだけ多く顔合わせるから、かな」


三郎が聞いたら歯軋りして悔しがるに違いない。
なんせあの五年生はとんでもなく乱太郎の事を気に入っていて、ちょっと変態入ってるよね、とこちらが引くくらいの勢いで乱太郎に迫るのだ。なので一時期「乱太郎に接触禁止令」が出た程である。


「後は二人の親しみ易さの差だろうな。うーん、これは興味深い。乱太郎」

「なぁに?」


仙蔵が乱太郎を呼ぶ、乱太郎はそれに素直な返事を返しながらくりん、と顔をそちらに向けた。


「保健委員の生徒名を上げてみろ」

「えー?何を急に」

「良いから」

「うぅー。えっとね、いさちゃん、数くん、さっちゃんに伏ちゃん、それとわたしだよ」

「数馬、左近、伏木蔵ね。愛称は可愛い保健委員の証なんだってさ」


伊作が笑いながら補足する。


「次、五年生」

「さっき仙ちゃんが自分で言ってたじゃない。基本的に苗字にくん付けだってば。雷蔵くんだけ名前で呼んでるの」

「じゃあ四年生」

「まだ続けるのぉ?え、と。お滝と喜八郎くん、おタカさんに三木くん、守一郎くん」

「三木ヱ門は兎も角、何だそりゃあ」


滝夜叉丸とタカ丸の呼び方に、留三郎は脱力してしまう。


「三木くんはね、最初は三木ヱ門くんって呼んでたんだけどいつの間にか短くなってて、お滝は何だかんだで顔合わせるからさ、こへちゃんのお陰で。いつの間にかこういう呼び方になっちゃった。おタカさんも髪の手入れの事でお世話になってるうちにいつの間にかこう呼ぶようになってた。なんでだろ?」

「こっちが聞きたい」

「次、三年」

「え、これ全学年やるの?」

「良いから」

「はーい、もう。えっと、伊賀崎くん、数くん、藤内くん、左門くんに三之助くん、富松くん!だよね」


指を折り折り全員の名前を上げていく。


「三反田数馬は保健委員仕様だとして。なぜ神崎、次屋と浦風が名前呼びなんだ?」

「左門くんと三之助くんは何でか良く二人で特攻してくるから」

「迷子になっちゃあ乱太郎の所に現れるからな!」

「浦風は?」

「あ、それぇ?あは、ずっと藤内が苗字だと思ってた」

「今更言い直せないってことね」

「そうそう」


伊作の言葉に頷いて、「いやー、名前だって知った時はビックリした!」と笑っている乱太郎に、「それは本人の方が驚いたんじゃないのか」と仙蔵が軽く頭を振った。
それほど接点のない上級生からいきなり名前を呼ばれたら何事かと思うだろう。


「で、さっきも話題になった二年生だよね。左近以外は名前にさんづけ」

「うん。何でかな~?……あ、そうだ。多分さっちゃんが発端だ」

「どういうこと?」

「さっちゃんが一年生の頃、風邪ひいて医務室にお泊りになった事があったじゃない?その時、熱でボーっとしてて呼んでも反応してくれなくなっちゃってね。ずっと「左近さーん?」って呼びかけてたの。それが何か妙に頭に残ってて、それ以降二年生の子たちをさんづけで呼ぶようになったんだった」

「分かったような分からんような」


文次郎が言うと、「個人の感覚の問題なんですー。わたしにはそれがしっくりきたんだもん!」とぷくっと頬を膨らませる。
そんな顔しても可愛いだけだな、とは心の中でだけ思っておいた。


「一年生は流石に人数が多いからなぁ」


それまで全員の名前を呼び連ねていた乱太郎だが、総勢十八名の名前を上げていくのはどうだろう?と小平太が言う。すると乱太郎は


「は組の子は全員名前にくん付けだよ」


と言って笑う。


「い組の子は佐吉くんと一平くん以外は苗字にくん付け、ろ組の子は伏ちゃんと平太くん以外が苗字にくん付け」

「鶴町は保健委員だからだとして、他は何故?」

「任暁くん、上ノ島くん、下坂部くんて言い難いから」

「……そうか?」

「おん、今も舌かみほうになっら」

「……そのようだな」


この子は早口言葉が大の苦手であり、通常のスピードでも噛まずに言えないのを思い出して仙蔵は妙に納得してしまったのだった。


「色んな呼び方があるもんだなー」


取り合えず話に区切りがつくと、小平太が「はぁー」と感嘆して息を吐いた。
その横で長次がこくりと頷いて同意する。


「そうだねぇ。でも乱太郎の呼び方で一番特殊なのって僕達の呼び方だと思うよ」


伊作も小平太に同意しつつ「あー喉渇いた」とお茶を啜っている乱太郎に視線を移す。
それに「そうかな?」という意味でもって乱太郎が首を傾げた。


「あだ名とか愛称は付き合いが長くなれば自然につくものだと思うけど、長次の呼び方とかさ」

「……確かに。ちーちゃん、なんて呼ぶのは乱太郎くらいだろうなぁ」


飲み干した湯飲みをカチャンと置いて、乱太郎は「えー?」と不満そうな声をあげる。


「この顔にちーちゃんだからなぁ」

「なんで?駄目?」

「駄目ではないがなぁ」

「ははは」

「えー?!ちーちゃん!ちーちゃんて呼ばれるの嫌?!」


皆に「ないない」みたいな反応をされて不安になったのだろう、乱太郎は長次にしがみ付かんばかりの勢いで確認をする。ちょっと涙目だ。


「嫌じゃない」

「本当?!」

「本当だ」


そんな乱太郎の様子に、長次は良し良しと頭を撫でながら頷いた。


「あー良かった!もう皆!変なこと言わないでよね!!」

「ごめんごめん」

「わるかったよ」


ぷくーと膨れる乱太郎に、若干の笑みを堪えて謝る。
そんな同級生に、本当に悪かったって思ってるの?!と詰め寄る乱太郎と、思ってるよ、と尚も笑いを堪える伊作、文次郎、小平太。それを宥める留三郎。
その様子を笑いながら見ていた仙蔵だが「乱太郎」と名を呼んだ。
そして


「私たちを呼んでくれ」


と言う。


「へ?」


唐突過ぎる申し出に、乱太郎は間の抜けた声を出すしかない。
そんな乱太郎に、仙蔵は深く笑んでもう一度同じ言葉を繰り返した。


「私たちを呼んでくれ」

「まぁ、良いけど、」


仙蔵の意図する事が全く掴めないが、呼べと言われたので素直に呼んでみる事にする。


「仙ちゃん」

「ああ」


「いさちゃん」

「うん」


「お留さん」

「おう」


「こへちゃん」

「おー!」


「ちーちゃん」

「(コクリ)」


「文さん」

「ん」



六年生全員を呼んで、これで良いの?と首を傾げる乱太郎。
呼ばれた同級生達は何だかやけに嬉しそうに見えた。


「変なの」


そう言いながらも、皆が笑顔で答えてくれた事が嬉しくて自分も笑顔になってしまう。


「まぁ色々あるが、私たちは乱太郎にこう呼ばれるのが好きなんだよ」


直後仙蔵がくれたその言葉と、それに力強く頷く同級生達に益々乱太郎の笑みは深くなる。
そして「皆大好き!」と叫んで飛びつきに行ったのだった。



――君が呼んでくれる。それがどれだけ自分達を幸せにしているのか、君には想像も出来ないだろうな――




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