「はい、これで終わり。あんまり無理しちゃ駄目だよ?こへちゃん」

「おう!ありがとな、乱太郎」


パタンと救急箱を閉じて、乱太郎は小平太に笑いかける。
今日の医務室当番は六年生の「猪名寺乱太郎」とその後輩、一年生の「鶴町伏木蔵」である。
実技授業中にいけどんして腕に怪我をした小平太は放課を待ってここに来ていた。
何故怪我したその時に来なかったのか、それはその時の医務室当番が「乱太郎ではなかったから」だ。至極簡単な理由である。


「それにしても、怪我したらすぐ手当てしてもらってねって何時も言ってるのに、何で放っておいたの」

「だって、乱太郎今日は昼から校外演習で医務室に居なかっただろう。乱太郎がいる時はすぐ来てるぞ」

「わたしが居ない時も来るの」

「えー、乱太郎に手当てして貰いたいからヤダ」

「あれ、わたし頼りにされてる?でへ、照れちゃう」


噛み合っているようで噛み合っていない、そんな会話をしていると、外に干してあった薬草を笊一杯に抱えて伏木蔵が戻って来た。


「ただいま戻りました~」

「あ、ありがとう。お疲れ様でした。取り合えずそっちに置いておいてくれる?後でいさちゃんと一緒に片付けておくから」

「はーい、あの」

「ん?なぁに?」

「それ、ぼくもお手伝いして良いですかぁ」


よいしょ。と邪魔にならないように部屋の隅に笊を置くと、ちょこちょこと乱太郎の傍に寄って来てお伺いを立てる。
そんな後輩に、乱太郎の顔はぐんにゃりと崩れてしまった。


「良いの?わぁ、ありがとう!じゃあ、いさちゃんが来たらお夕飯の時間までお願いね、伏ちゃん」

「はい!」


まだまだ幼い一年生と、六年生にしては可愛らしい容姿の乱太郎が楽しそうに会話をしているのを眺めているのは何となく楽しい。和むと言うか、ほっこりする。
手当ても終わり、これ以上医務室に用事もないが小平太はそこから動く様子を見せなかった。
程なくして、同じく六年生で保健委員長である善法寺伊作がやってくる。
そしてどっかりと腰を下ろして乱太郎と伏木蔵の会話を眺めている小平太をすぐに見つけると溜息を吐いた。


「小平太、またここに居たの。乱太郎が当番をする度に居座るのやめてよ」

「怪我の手当てをしてもらったんだ」

「じゃあ早く帰って、体育委員会の子達が探してたよ」

「すぐ見つかるから大丈夫だ」

「そりゃしょっちゅう此処に居ればいい加減分かる様になるよ」

「なはははは!!!」


全く埒が明かない小平太との会話に、伊作は医務室に来て早々二度目の溜息をつく。
もう勝手にしてくれと彼の事は放っておくことにして、乱太郎と伏木蔵に声をかけた。


「お待たせ乱太郎。伏木蔵もお疲れ様」

「大丈夫だよー。ねぇいさちゃん、伏ちゃんが薬草の整理を手伝ってくれるって」

「本当?すまないね、伏木蔵」

「いいえ~」


人数が増えて賑やかになった医務室で、小平太はごろりと横になる。
するとそれに気付いた乱太郎が「そこで横になると誰かが来た時に邪魔になっちゃうから、こっちで横になってね」と自分の傍の床を示した。
それに気分良く呼ばれることにしてズリズリと匍匐前進すると、背後からガバリと乱太郎の腰に腕を回して寝転んだ。


「!?、小平太!!」

「ちょっとこへちゃん、動き難いんだけど」


抱き着かれた本人より焦り、抗議の意味を込めて小平太の名前を叫ぶ伊作と、あまり気にした風でもない様子の乱太郎。一応「やめてよ」的なことを言ってはいるが、そこには大して気持ちは込もっていない。


「ちょっとだけちょっとだけ」

「もう。あんまり腕締めないでね、こへちゃん力強いんだから。あと、お迎えが来たらちゃんと行ってあげてよ」

「勿論だ!!」


ギャーギャー言っている伊作をまるっと無視して、小平太はそのまま乱太郎に引っ付いて笑う。
未だ抗議を続けている伊作に乱太郎が「どうしたの?いさちゃんも引っ付きたい?」なんて爆弾を落として真っ赤にさせるついでに静かにさせてしまったのを見て、伏木蔵が「乱ちゃん先輩ってばスリル~」なんて小声で呟いていた。

さてその後の医務室も何かと騒がしかった。
怪我人やら病人やらそうじゃない人やらが引っ切り無しにやってくるのだ。
「乱太郎先輩、ここ怪我したー」とか「猪名寺先輩、包帯下さーい」とか「乱ちゃん先輩、頭が痛いんですー」とか。
委員長である伊作が居るにも係わらず、皆真っ直ぐ乱太郎の所へやってくる。
伊作もそれに慣れっこなのか、処置をしたり薬を出したりしている乱太郎の手伝いをしながら薬草の整理を続けていた。


(ほー、やっぱりみんな乱太郎が好きだな!)


そんな医務室の様子に、寝ているふりをしてその実ちゃっかり伺っていた小平太は笑ってしまう。自分も大好きだけど!としっかり頷いておくことも忘れなかった。
さてしかし、このままこうして乱太郎に引っ付いていたいけれど、そろそろお迎えがきてしまいそうだな。小平太がそう思っていると医務室の戸の前に良く知った気配が立ったのを感じた。
失礼します、と断って現れたのは体育委員会の後輩、平滝夜叉丸だ。


「あ!やっぱりこちらだったんですね!七松先輩!!」


乱太郎の腰に引っ付いている小平太を発見すると、またー!と怒ったような困ったような声を上げる。


「今日は遅かったな!」

「次屋三之助がまた迷子になったんで探しながらきたんです!それより七松先輩、わざわざ探させないで下さいよ!!」

「最近は医務室にいる事が多いから探しやすいだろう」

「乱太郎先輩が医務室に居る時限定じゃないですか!」

「違いない!!ははははは!!!」

「笑いごとじゃないんですって!」


滝夜叉丸が声を張り上げるのを楽しそうに聞いて、小平太はあっはっはと笑う。
そんな二人のやり取りに、伏木蔵は心底保健委員で良かったと思った。
伊作は伊作で額を押さえて項垂れている。基本後輩思いの彼は、同級生が後輩にかけている迷惑に頭が痛いのだろう。
しかし医務室内で騒ぐのは頂けない。ちょっと静かに、そう声をかけようとした時、それを遮るように乱太郎が口を開いた。


「滝、滝、お滝。ちょっとこっちおいで。他の体育委員会の子達もいるの?その子たちも呼んでね」

「え、は、はいっ!」

「こへちゃん、ちょっと離して?いさちゃん、ちょっと大人数になっちゃうけど少しだけごめんね?」

「あー、らんたろー」

「うん、それは構わないけど」


程なくぞろぞろと医務室に入ってくる体育委員会の生徒達、縄に繋がれた三之助には「また迷子になったんだってね」と困ったように笑ってみせた。
そして少しごそごそとしてから、「座って」と皆に促す。
何事かも分からないままそれに従う体育委員達は、にっこりと乱太郎に微笑まれて顔を赤く染めた。


「こへちゃんを探したり三之助くんを探したりで疲れただろうからね。ちょっと一息ついてから戻っても良いじゃないかと思って」


八人分の湯飲みを出してくると、それに温めのお茶を入れてそれぞれに渡す。
一年生の金吾、二年生の四郎兵衛には「頑張ってるね」と声をかけて頭を撫でた。


「ありがとうございます!」


少しバテ気味だった金吾と四郎兵衛に笑顔が戻り、乱太郎は益々笑顔になってしまう。
伏木蔵が羨ましそうにこちらを見ているのに気付いて、「伏ちゃんも頑張ってるね」と頭を撫でて笑った。乱太郎は後輩達が可愛くて仕方ないらしい。


「それと、はいこれ」


そう言って不意に乱太郎が差し出したのは小さなガラス瓶。
その中には小さくて綺麗な何かが沢山詰まっている。


「金平糖だよ。今日、演習帰りにしんべヱくんに貰ったの」

「ああ、あの時嬉しそうにしてたのはそういう事だったんだ」

「うん、前にしんべヱくんのお父上の荷物を取り返してあげた事があってね。その時のお礼だって」

「え、何それ!?僕聞いてない!!」

「しまった……」

「どういう事だい、らんたろー!」

「あ、後でちゃんと話すから~。ほら、二つ貰ったからこれは君たちにあげる」


乱太郎ー!?と喚いている伊作を何とか押さえ込み、一番近くに居た滝夜叉丸にそれを渡す。
ガラス瓶を受け取った滝夜叉丸は何故かカチコチに固まってしまった。


「ほらいさちゃん、寝る時にちゃんと話すからもう許してよ」

「乱太郎、今日は私と一緒の日だぞ」


駄目駄目、と小平太が口を挟むと、伊作は「私『達』だろ!」と声を荒げる。
荒れる伊作に乱太郎は「あちゃ~」という顔をして、「じゃあ今日は皆よりちょっと早めに一緒にお風呂入ろ、その時に話をしようね」と耳打ちをした。
何故耳打ちか?別に深い意味はない。ただ単に傍で小平太が「私と一緒!」と煩かったからだ。


「うん」


それを聞いた伊作はアッサリと静かになり、それを見ていた後輩たちは呆気に取られるしかない。忍術や学に優れ、大人で格好良いと思っていた六年生達も猪名寺乱太郎先輩の一言で子供のようになってしまうようだ。何だ、意外と自分たちと変わらないんだな、と心の中で思っていた。


「ところで、滝?お滝~、どうしたの固まっちゃって」


先ほど金平糖を手渡された時から固まったままの彼に乱太郎が声をかけると、汗をだらだらかきながら「いえ」と首を動かす。


「こんな高価なもの、頂いて良いのでしょうか」


この時代、金平糖は権力者への贈答品として十分な価値があり大変貴重なものだ。
そんなものを「はい」と渡された滝夜叉丸が驚くのも無理はないだろう。


「大丈夫、遠慮なく貰って。お父上にお会いする機会があれば、私からまた御礼を言っておくから。勿論しんべヱくんにも伝えてもらうけどね」

「はい」

「お滝は良い子だね」


撫で撫でと頭を撫でると、ボッと頬を染めた後に


「子供扱いしないで下さい。私はもう四年ですよ」


と言われてしまった。


「さて、こへちゃん、そのお茶飲んだら行ってあげて。体育委員の活動の邪魔になったらほ、ほんだし?えー、ほにゃらら天丼?だから」

「はい?」

「もしかして本末転倒って言いたい?」

「それ!あはは、何て言うのか忘れた!惜しかったよね~」

「全然惜しくないぞ、乱太郎」


折角良い感じで素敵な先輩だったのに、最後にこれで全員が脱力してしまう。
でもこれでこそ猪名寺乱太郎である、とも思った。


「よし、行くか体育委員!」


にこにこ笑っている乱太郎に空になった湯飲みを渡すと、小平太が元気よく立ち上がる。
それに慌てて後輩達が続くのを見て、乱太郎は


「こへちゃん、お滝はガラス瓶持ってるんだからそこんとこ考えてよね」


と一応声をかけた。


「おーう!」

「本当に分かってんのかなぁ。まぁ良いや、くれぐれも怪我しないように、皆もね」

「はい!お茶、ありがとうございました」

「んじゃ行くぞー!いけいけどんどーん!!」

「待ってください委員長ーーー!!!」


小平太と後輩達が嵐のように去り、一気に医務室内は静かになる。
幾つもの湯飲みを片付けながら、乱太郎はクスクスと笑いをこぼしていた。


「何ですか?乱ちゃん先輩」


そんな彼が気になったのだろう、伏木蔵がそれを手伝いながら首を傾げる。


「んーん、何でもないよ。ただ賑やかだったなぁって思っただけ。あんなに元気なんだもん、皆、怪我しちゃ医務室に来る回数が全然減らないわけだよね」


言ってて可笑しかったのか、ケラケラと笑い出す乱太郎に


(それだけじゃないと思います~)


と、伏木蔵は思い笑ったのだった。



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