今夜は雪が降っている。
夕方から降り出した真っ白で柔らかなそれは、部屋の中からぼうっと眺めているととても美しく幻想的なものだ。
少し水分が多いのか、雨とは違うサァサァという音が響くのも何だか心地良い。


「きれい」


ポツリ呟いた乱太郎の声は、誰にも拾われることなく静かな空間に溶けていく。
自室でぼんやりと外を眺めている乱太郎だが、今は彼がそこに居るだけだった。



「冷えるぞ」


不意にそんな声がして振り向くと、そこには呆れた顔をした仙蔵が一人佇んでいた。
今夜は仙蔵、文次郎のい組と一緒に就寝する予定なので部屋に来てくれたのだろうが、小言でも言いたげなその表情に、乱太郎は少し困ったように眉を下げてしまう。


「大丈夫だよ。火鉢置いてあるし」


どうにも仙蔵のこの顔に弱い乱太郎は、段々と小さくなっていく声でそう答える。
しかし、そんな乱太郎の言葉を聞いた仙蔵は益々眉間に皺を寄せ、険しく穏やかでない表情に変わっていってしまった。


「何が大丈夫だ、火鉢を置いても部屋の戸を全開にしていたら意味がないだろう」

「だって、閉めちゃったら雪が見えなくなっちゃうし」

「それで体調を崩しでもしたら伊作が怖いぞ」


良いから戸を閉めろ、言いながら乱太郎を部屋の奥へと押し込めて、自分もその部屋に入りながら静かに部屋の戸を閉める。


「回りの人間の体調ばかりでなく、自分の心配もしたらどうなんだ」


真っ白になった頬を掌で包み、氷のように冷たくなった場所に桃色が戻るように何回か擦ってやる。これは用務員教諭か誰かに温石でも用意して貰った方が良いかもしれないな。と、中々温度が戻らないそこに仙蔵は小さく為息を吐いた。


「仙ちゃんの手、あったかいねぇ」


そんな仙蔵の心中など知る由も無い乱太郎は、のほほんと暢気に掌の温かさにふにゃ、と笑う。


「暢気に笑ってる場合か」

「えへへ」


真っ白になった頬とは対照的に真っ赤になった鼻の頭を抓んでやると、まるで子供のような顔をして笑う。
とても自分と同じ年齢の男とは思えない。


「ね、仙ちゃん」

「なんだ?」


甘えるように乱太郎に呼ばれ、仙蔵はそれまで見せていたキツい表情が一気に崩されるのを感じた。それすらどこか心地良いと感じてしまうのだから、もうどうしようも無い。


「この雪、たくさん積もるよね?」

「まぁ夕方からこれだけ降っていればな。明朝には真っ白になっていると思うぞ」

「じゃあ雪遊びができちゃうね」

「お前、六年生にもなってまだ雪遊びがしたいのか」


僅かに桃色になった頬を軽く抓んで引っ張ると、乱太郎は「むぅ」と少し剥れて見せる。


「だって楽しいじゃない」

「乱太郎は子供だな」

「む」


わざと呆れたように笑ってやると、乱太郎は益々子供みたいに剥れてみせた。


「良いもん、こへちゃんと遊ぶから!こへちゃんなら絶対一緒に雪遊びしてくれるもん!」


そう言って拗ねてみせる乱太郎に、仙蔵は全身がザワリと粟立つのを感じた。
瞬間、頬を膨らませている乱太郎の腕を乱暴とも言える力でグイと引く。


「わ!」


強い力で引っ張られた乱太郎は、そのまま大きな音をたてて仙蔵の胸元へとぶつかってしまう。


「ご、ごめんね仙ちゃん」


引っ張ったのは仙蔵であるというのに、乱太郎は倒れこんだ胸元を掌で確かめながら眉を下げる。
おろおろとした声が何度も謝るのを聞いて、仙蔵は何とも情けない気分とやるせない気持ちがない交ぜになっていくのを感じずにはいられなかった。


「お前が謝ることじゃない。すまない、今のは私が悪い」

「でも、痛かったでしょ?」


どこか悲しそうな顔をして尋ねてくる乱太郎に、痛かったのは胸元ではないと見破られているようで、ない交ぜの気分がより複雑になり大きくなる。
勿論乱太郎は自分がぶつかった胸元の心配をしているのであって、その奥、もっと柔らかで脆いそれが痛んでいるのだとは思っていない。
それでも彼の瞳には自分の全てを見透かされているように思えて、仙蔵は何とも言えない気分になってしまうのだ。


「大丈夫だ」


言いながら、未だ自分の胸元を優しく掌で撫でている乱太郎を思わずギュウと抱きしめた。


「仙ちゃん?」


突然抱きしめられた事に驚きながら、それでも逃げる素振りも見せずに腕の中に納まる乱太郎は、表情の見えない仙蔵を伺うように名前を呼ぶ。


「痛くはないよ」


それを返事として回した腕により力を込めると、乱太郎から少し安心したような吐息が漏れるのが聞こえた。


「良かった」


そして聞こえた心底安心したような声に、仙蔵の胸はギュウッと握り締められたような苦しさを加えていよいよ音を立てる。


「乱太郎」

「なぁに?」


この苦しさから自分を開放してくれるのは、今この腕の中にいるこの存在だけだと知っている仙蔵は、同じ六年生から「乱太郎専用」と言われる声で彼の名を呼んだ。
甘ったるいくせにどこか薄暗いものがぼんやりと含まれたその声は、他の生徒から言わせれば「束縛」そのものを表しているそうだが、それに乱太郎も仙蔵本人さえも気付いていない。


「お前と今一緒にいる男は誰だ?」

「え……」

「誰?」

「せ、仙ちゃん、だよ」


発せられた質問の意図も知らせないまま、乱太郎からもぎ取った戸惑いがちの返答に、喉に詰まった飲み込めない何かや、胸に燻る何とも言い難い微熱を吐き出すように短く息を吐いた。
抱きしめた腕はそのままに、今度は乱太郎の顔を覗き込むと、彼の耳元で「もう一度」と囁いて耳を寄せる。


「仙ちゃん、立花、仙蔵……。」


おそらく真っ赤になっているのであろう、唇に乗せられた乱太郎の声がいつもよりも熱いのを感じて、思わず下唇を噛む。


「私は嫉妬深いんだ」


一息ついて乱太郎の耳には入らない程小さな声で呟くと、一層強い力で乱太郎の体を抱きしめる。
すると戸惑いがちな乱太郎の腕がそろりそろりと仙蔵の胸元から下りて行った。
そうしてゆっくりと脇腹の辺りまで辿りつくと、今度はそうっと背中に沿って上っていき、丁度真ん中あたりでキュと力を込められる。


「乱?」

「えっと、何か、こうしたくて」


えへへ、と。彼特有の幼い照れ笑いと声に、仙蔵の胸は先程とは違う力で締め付けられる。
苦しくはない、痛くはない、が、確かに存在を主張する胸の中。


(あぁ、もう、早く私だけのものになってくれ)


声にならない声が、体中を駆け巡って腕や掌に集まっていく。
これ以上キツく抱きしめられない代わりに、掌の熱がそれを伝えようとしているかのようだった。


「仙ちゃん」


優しく呼ばれた声にその顔を覗き込めば、仙蔵の真意は読めないままの筈の乱太郎が、頬を桃色に染めてこちらをじっと見つめていた。
ふうわりと微笑むその表情と、薄桃色の頬にくらりと眩暈を覚える。
限界を告げる心のままに


「今夜、文次郎は任務で帰らない。乱太郎、くれぐれも私の前で他の男の名前を呼んでくれるなよ」


そう乱太郎に投げると、「?、??」と、きょとんとした顔をしてこちらを見つめる瞳とぶつかった。
苦笑交じりに腕の中の存在を確かめるように抱きなおせば、それに答えるように乱太郎の腕にも力が入って、仙蔵は深い深い為息を吐くと困ったように笑ったのだった。




何だこの「誰だお前」感。爆!!!!!



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