乱太郎は一人、自室前の廊下に腰掛けていた。
柱を背もたれにしてぼうっと空を眺めていると、青い空をゆっくりと雲が流れていくのが見える。
他の六年生達は委員会活動や個人鍛錬、町に買い物へ出掛けていたりとこの休日をそれぞれ過ごしている。
文次郎には鍛錬に、伊作と仙蔵には買い物に誘われたりしたが、朝からどうにもぼうっとしていて気が乗らなかったので断ってしまった。
それを聞いた三人は少し残念そうにしていたが、文次郎はどこかぼうっとしている自分を見て「怪我でもしたら大変だからな」と頭をワシワシと撫でて森へと出掛けて行き、伊作は「お土産買ってくるから」とコツンと額を合わせ、少し困ったような寂しそうな顔で笑い、仙蔵は「大人しくしているんだぞ」と、どこまでも優しい指先で頬を撫でて出掛けて行った。
先程から聞こえてくる元気の良い声は小平太のものだろうか、きっと今日も下級生達に「待って下さい!」と騒がれているのだろう。


「ふふ、毎日元気なんだから」


怪我しないで、勿論させるのも駄目だよ?と送りだした時の「おう!」という声と笑顔を思い出し、クスクスと笑いが込み上げる。
あの素直で真っ直ぐな瞳は、乱太郎の好きなものの一つだ。


「そうだ、医務室……様子を見に行った方が良いかな」


ふと思い腰を上げようとしたが、今日の当番が数馬と左近であることを思い出して動きを止めた。先程よりもふにゃりと崩れた笑顔を零しながら、また柱に背中を預けて座り直す。
『大丈夫です!任せて下さい!!』と頬を真っ赤にしていた数馬を思い出したからだ。


「数くん、頼もしくなったもんなぁ。それに、さっちゃんに怒られちゃうもんね」


自分はきちんと保健委員を務められます!と、手を出し過ぎてしまった自分を左近に咎められたのはつい最近の事だった。


「可愛くてついつい甘やかしちゃうけど、良くないよね」


何か分からないことがあれば新野先生もいることだし、今日は大人しくここにいようと笑顔のまま再び空を眺める。


(良い天気)


青い色に薄く白い雲、暖かな空気に優しく流れる風。
その風の匂いは微かに緑色で、ぼうっとしている頭に更に霞がかかったような心地になってしまう。


「眠い、なぁ」


呟きながら重たい瞼を無理やり瞬かせるが、それは一層眠気を意識させてしまうだけだった。
ズズズ、と凭れていた背中が落ちていく感覚に任せて、乱太郎はそのまま意識を手放してしまおうと瞳を閉じる。
とうとうコロリと廊下に転がる形になると、そのままクウクウと寝息を立て始めてしまったのだった。



トストス、と軽い足音と共に長屋の廊下を歩いてきた長次は、先に見える小さなものがまるで小動物みたいに丸まっているのを見止めるとフ、と息を吐いた。
それは呆れたとかそういう類のものではなくて、不意にとても可愛らしいものを見せられて、込み上げた僅かな笑みがコロリと落ちた、そんなものだ。
そうっと、丸まっている子を起こさないように気をつけて近づいていくが、どうにもこの子は危機感というか、そういうものが足りない。
演習時や課題、与えられた任務の遂行中ははあんなに上手く、誰よりも敏感に気配を辿ることが出来るのに、一歩この守られた空間に入ってしまうと途端に機能しなくなってしまうのだから。
今も長次がほんの数歩程しか離れていない場所までやってきているというのに、一向に目を覚ます気配は無かった。


「乱太郎、風邪を引くぞ」


いくら今日が暖かいとは言え、廊下で転寝などしていたら風邪をひいてしまう。
クウクウと気持ちよさそうに寝息を立てるこの子を起こしてしまうのは若干心苦しいが、風邪を引いてしまった時のことを考えればこのままにはしておけない。そう思い、乱太郎のすぐ傍に膝を折って座ると軽く肩を叩いて声をかけた。
軽く揺すられたような感覚に、乱太郎は赤子が愚図るような仕草で眉を寄せると、うっすらと目を開ける。


「んぅ?」

「乱太郎、風邪を引く。部屋に入れ」

「……や」


しかし、覚醒などしていない、ただ目を開けただけの乱太郎は、長次の言葉にイヤイヤと首を振るだけだった。


「陽が落ちれば寒くなる」

「ん~~、」


ふるふると頭を振って拒否する乱太郎に、長次はもう一度声をかける。
それでも乱太郎は無言で首を横に降り続けるだけだった。
さてどうしたものか、この駄々っ子のようになってしまった同級生に、長次は軽く為息を吐いてキョロキョロと辺りを見回す。
自分が彼の部屋に運んでやるにしても何か掛けてやった方が良いかもしれない、そう思って辺りを見回したのだが、やはりここは廊下、そこには事足りるような物は何も見当たらなかった。
仕方ない、このまま運んでやろうと乱太郎の体に手を伸ばしたその時だ。クン、と何かに引っ張られる感じがする。
案外と強い力で引っ張られているそこに視線を落とすと、そこにはしっかりと衣の裾を握っている乱太郎の指。
そしてじっとこちらを見上げている乱太郎の瞳があった。
バチリとその瞳を覗き込むような形になった長次は、一瞬その底の見えない瞳の中に落ちそうになる。


「起きたのか?」


それをグッと腹の底に力を入れて押さえると、何も言わないままの乱太郎に小さく静かな声で問いかけた。
しかし乱太郎は目を覚ましたわけではなかったようで、光を沢山に含んだ瞳は、目の前にある長次の顔を確認すると、再びとろりと溶けて何も映していないような鈍い色になっていった。


「ちーちゃん、が、温かくて」


誰かが傍に来たことで、今までとは違う温かさを感じたのだろう。それから離れ難いのだというように、衣を掴む乱太郎の手に更に力が込められる。
それでも足りないのか、伸ばされた長次の手に体を摺り寄せてきた。


「乱太郎」


そんな乱太郎の仕草に、長次は益々静かな声で可愛い子の名前を呼んだ。
衣を掴んでいる指を優しく包むと、グイと自分の方へと引き寄せる。
乱太郎の体と床の間に出来た僅かな隙間にするりと手を差し入れると、そのまま包み込むようにして乱太郎の体を支えながら自分の胸の中へと迎え入れた。
乱暴にならないように細心の注意を払って胡坐をかき、乱太郎の足が辛くないように移動させてやる。
そうして廊下の柱に背中を預けると、小さく長く息を吐き出しながら乱太郎の顔を覗き込んだ。
自分の胸の中で顔を押し付けるようにしていた乱太郎だったが、ぽん、と背中を優しく叩いてやるとふにゃりと表情が崩れていく。


「ちーちゃん」


すり、と頬を寄せ、何とも幸せそうな表情からホロリと落ちる声。
その声に、長次の中にじんわりとした気持ちが込み上げてくる。
昔ほど上手く動かなくなった頬の筋肉が、ゆうるりと解けていくのを感じずにはいられない。


「おやすみ」


ひとつ乱太郎の頭を撫でながら、優しい風に紛れてしまいそうな程低く静かに長次が言うと


「おやすみ、ちーちゃん」


と、これもまた消えてしまいそうな程に小さな乱太郎の声。
ぽん、ぽん、とまるで幼子を寝かし付ける時のように背中を叩いてやると、乱太郎の頬は薄桃色に染まってほにゃりと崩れ、そしてまたクウクウと寝息をたて始めた。


「おやすみ」


もう一度、溶けてしまいそうな空気の中に言葉を零すと、胸の中の乱太郎がほにゃり、と笑ったような気がした。




お昼寝乱ちゃん。
を抱っこする長次さんが書きたくて。
長次さんは図書委員のお仕事を終えて戻ってきました。
そしたら廊下に乱太郎が寝てるんだもの、こりゃ放っておけませんわ。
町から帰ってきた伊作と仙蔵は「ぐぬぅ」ってなるけど、勿論、乱太郎を起こさないように静かにしてます。その後委員会終わりの留さんが皆の分のお茶を持って来て、それを飲みながら乱ちゃんが起きるのを待ってたり。
小平太と文次郎が戻ってくる頃には乱太郎さんも目を覚まして、皆でおやつタイム。
なーんて。



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