本日、放課後の医務室当番を務めているのは猪名寺乱太郎一人である。
本来なら一緒に当番を務める筈だった三反田数馬に急遽校外実習が入ってしまったのだが、生憎と伏木蔵は学園長にお使いを、伊作はその付き添いに任命されていたし、左近は出された課題をこなす為にどうしても時間を作れずと誰も交代の都合が付かなかったのだ。
まぁ大きな問題が起きている訳でもなし、普段と変わらぬ様子の学園ならば自分一人でも充分であろう、と気軽に一人で当番をすることを引き受けたのだった。
「静かだなぁ~。こんなに静かなの、久しぶりかも」
放課を待ち医務室に入ってからこっち、珍しく誰の訪問も無い空間を見回して乱太郎は呟いた。
普段なら必要も無いのにここにやって来る面々が珍しく今日は来ていない。
そのためシンと静まりかえった室内には、乱太郎が薬を分包する音がやけに大きく響いていた。
「いつもこうだと良いんだけどね」
誰も怪我や病気をしていないというのは良い事だ、と一人静かにうんうんと頷く。
中には明らかに怪我や病気に託けて医務室に駄弁りに来ました!という者も多いのだが、乱太郎にとってその辺はあまり関係はなかったし気がついてもいなかった。
「さて、と。ちょっと休憩しようかな」
黙々と続けていた作業の為、凝り固まってしまった体を解す様に伸びをすると、小さな山になった粉薬達を薬箪笥に仕舞って湯飲みを出してくる。
病人にだす為と自分達の休憩の為に、ここには複数の湯飲みと茶葉が常に置いてあるのだ。
季節柄常に湯を沸かしてあることもあって、飲もうと思えばすぐに茶が飲める状態である。
「何かお茶菓子とか欲しいな~、何か無いかな?あ、でも誰か来た時にわたしがお菓子なんか食べてたら不味いかな」
そんな事をブツブツ呟いていると
――ドサッ!!
「え?なに?!」
医務室の外、それもかなり近い所で何かが落ちる大きな音が聞こえた。
それは自分や保健委員会の者ならとても聞き慣れている音で、それ故乱太郎は血相を変えて湯飲みを放り出すと廊下に飛び出した、のだが。
「誰か落とし穴に落ちた、のぉおおおおおおおおおお?!」
足元がフワリと浮いたかと思うと一瞬の暗転。これまた良く知っている感覚に襲われて、乱太郎は「ああ、またか」とどこか変な冷静さを保った頭の隅で思った。
ドッ――
痛々しい音と共に思いっきり尻を打ち付けた乱太郎は、顔を歪めて立ち上がりながら痛む部位を掌で擦る。
擦りながら「足首良し、手首良し、頭も打っていない、うん大丈夫!」と悲しいかな手馴れた様子で体のあちこちを確認した。
そうしてから、さてこれはまた……と渋い顔をしていると
「おやまぁ」
と頭上から声が降ってくる。
「……喜八郎くん?」
「そうでーす。らんたろー先輩、何でそこにいるんですか」
聞き慣れた若干間延びした口調で答える綾部喜八郎に、どうやらこの穴の主は間違いなく彼のようだ、と乱太郎は小さく為息を吐いた。
「落ちたんですよぅ」
「それは分かりますが」
「外から大きな音がしたから慌てて飛び出しちゃったんだよ。そしたら足元に大きな穴が開いてるんだもの」
「大きな音?ああ、それ僕が外に放り出した土を片付けた音ですー」
何処までも飄々と答える喜八郎に、わたしも少しは彼を見習った方が良いのかしら?何て乱太郎は思ってしまう。
「かなりの量だったんでそこの茂みにでも置いておけば良いやと思って」
成る程、確かに医務室の真正面には茂みがあって、彼はそこに掘った時に出た土を移動させていたのだろう。
その時に彼が放り投げた土の量が多く重かったので、乱太郎は誰かが落とし穴に落ちた音だと勘違いしてしまったのだ。
「出られます?」
「大丈夫だよ。一年生の頃から何度落ちてると思ってるの」
言いながら懐から縄と苦無を取り出すと、それらを結んで穴の中から見えている太めの枝に向かって一直線に投げた。
シュッと軽い音を立てて目標に辿りついた苦無は、くるりと何回か枝に巻き付いてその動きを止める。
それをグイグイと何回か引っ張って確かめると、乱太郎は一気に穴の底から地上へと戻ってみせた。
「あまり褒められたものではないですねぇ」
「喜八郎くんが穴掘りを少し自重してくれてたら、落ちた回数は大分少なかった筈なんだからね」
使用した縄と苦無を回収して再び懐に仕舞うと、乱太郎は喜八郎にじっとりとした視線を向ける。
「喜八郎くんが穴掘り好きなのは入学当初からだったけど、二年三年って進級する度に数も深さもどんどん多く深くなるんだもの。それも医務室の周にばっかり」
「それで怒られました」
「そりゃそうだよ。医務室は怪我人や病人が来る場所なんだから。落とし穴が大量にあったら困るの。まぁあれ以来数も減ったし、本当はこの辺に掘るの止めて欲しいんだけど、学園長先生が修行になるから良し!なんて言ってくれちゃったからねぇ。でもこの穴は埋めておかなくちゃ」
「せっかく堀ったのに」
「今すぐにじゃなくても良いから。あぁ、喜八郎くん」
「なんです?」
「今からお茶でもしようかなって思ってた所だったの。時間があるなら一緒にど」
「おじゃましまーす」
「うかな、って……。はい、いらっしゃい……」
乱太郎が言い終わらない内に、さっさと体に着いた土や埃を叩き落とした喜八郎はズンズンと医務室の中へと入って行く。
そんな彼の後姿に、乱太郎は「やはりこの子はかなりの大物に違いない」と思わずには居られなかった。
「お茶菓子も無くてごめんね」
濃い湯気を立てる湯飲みを喜八郎の前に置いてやりながら乱太郎が言うと、喜八郎は「いえ」と簡単に返事を返してそれを手に取った。
「お茶の用意はすぐに出来るんだけど、流石にお菓子を常備しとくのは難しいんだよねぇ」
「学級委員長委員会くらいですよ。お菓子が常備されてるのなんて」
「うん、まぁ、そうね」
この間も文さんが凄い顔してたもんなぁ、と帳簿と睨めっこしていた同期生を思い出してしまう。
「作法委員会にもお菓子の常備はありませんよ」
「仙ちゃんはそういうのしなさそうだし」
「でも何故か、らんたろー先輩がいらっしゃる時には必ず用意されてるんです」
「あれ、そういえばそうだ。何で?」
「不思議でしょう?」
「……答えになってないよ」
何処か不適な笑みを浮かべる喜八郎に、調子を崩されっぱなしでどうもいけない、と小さく息を吐いた。
まぁこの子はいつでもこうだし、あまり深く考えるのも良くないのかな、何て唇の端に笑みを浮かべたその時だった。
「らーんたろ君Vv」
「ち、ちょっとタカ丸さん!在室の確認をしてから開けないと!!」
スラリと医務室の戸を開けて、明るい髪色をした少年が人懐っこい笑顔を浮かべて入ってきた。
その後ろでは「失礼します」と礼儀正しく頭を下げている少年、何時も一緒の火器は今日は持ち歩いていないようだ。
「三木ヱ門、タカ丸さん……(ッチ、見つかった)」
喜八郎が若干降下した気分で彼等の名前を呼ぶ。
「あれ、綾部君が居る!(抜け駆けぇ?)」
「本当だ(どういう事だ喜八郎)」
「一緒にお茶してたの。三木くんとおタカさんはどうしたの?」
「らんたろ君の髪、そろそろ手入れさせて貰おうと思ってきたんだ」
「私はタカ丸さんが医務室に向かって一直線に走って行く姿が見えたのでつい」
チャキチャキと鋏を鳴らしながら言うタカ丸に、彼につられて来てしまったという三木ヱ門。
そんな二人に乱太郎は「こっちにおいで」と手招きすると、二人分のお茶を淹れて座るよう促した。
それに嬉しそう頷くタカ丸と、照れたように「すみません」と答える三木ヱ門。
タカ丸はちゃっかり乱太郎の隣に腰を下ろすと、出されたお茶に早速口を付けてニコニコと笑う。
「タカ丸さん、今日は委員会じゃなかったんですか」
何ちゃっかり隣に座ってるんですか、と視線に込めて喜八郎は言うが
「んー、今日は中止なんだって。久々知君達が火薬の確認をしたばかりだから良いだろうって土井先生が」
とのほほんと返されてしまった。
「だから、らんたろ君の顔も見たかったし来ちゃった!」
「わたしの顔なんて見ても面白くないよ~」
「そんな事無いよ!らんたろ君の顔を見たら元気になるもの、好きだからVv」
「「?!?!?!」」
「もー、そんな事ばっかり言って。照れるじゃない」
「本当だよ」
「分かった、分かりました。もう」
「本当なのにー」
何という事!サラリと好意を伝えたタカ丸に、喜八郎は段々と苛々が募って行くのを隠せない。
その隣では三木ヱ門が信じられない者を見る目でタカ丸を凝視していた。
「タカ丸さん、あまりらんたろー先輩にくっ付かないで下さい」
グイグイと乱太郎に近づいて行くタカ丸に喜八郎は苛々を隠さぬ声で言うが、そんなものは何のその「だって近づかなきゃ髪の手入れが出来ないよ」何て言って、タカ丸は益々近づいていく。
そりゃ今までだって彼が乱太郎の髪の手入れをしてきたことは知っているが、折角二人きりで茶を楽しんでいた所に現れて、その上目の前であまりに近い距離で居られるのは我満ならない。
「三木ヱ門、いつまでそうしてるの」
若干固まってしまっていた三木ヱ門に、喜八郎が正気に戻れと意味を込めて声をかける。
するとハッと我に返った三木ヱ門は、今度はグイグイと距離を詰めているタカ丸を瞳に捉えると悲鳴のような声を上げた。
「タカ丸さんっ!何してるんですか!!!!」
喜八郎は自分のことをアイドルだ何だと言っているこのクラスメートが、案外礼儀正しく真面目であることを良く知っていた。
どっかの誰かさんと同じで(あそこまでではないが)自惚れが強い所が少々あるので、たまに年上に向かって失礼な事を無自覚で言ったりやったりしてしまうが、目上の者に対する態度なんかを非常に気にする性格であると充分理解していたのだ。
その上彼は憧れや恋情というものにとことん初心である。そんな彼だから、目の前で繰り広げられているこの光景はとんでもないものに見えているだろう。
例えそれが誰であっても、そんなに軽々しく先輩に、ましてや憧れの、もっと言えば恋情を抱く人に触れようだなんてとんでもない!と。
それは今にも抱き着きそうなタカ丸の体を、ギャー!と聞こえそうなくらい血相を変えて引っ張り押さえ込んでいる姿にありありと見てとれた。
(恋敵が沢山いるのは厄介だけど、性格を知っていればそれなりに役にも立つよね)
己の思惑通りに三木ヱ門がタカ丸を阻止してくれているのを見て、喜八郎はニヤリと笑みを浮かべる。
そんな彼の強かでちょいと黒い面が顔を出していたその時だ、外でドッサー!という盛大な音がしたかと思うと、次の瞬間スッパーーーーン!!!!と勢いよく医務室の戸が開けられた。
そして
「らんたろー、すまん!滝夜叉丸を頼む!!よーし、引き続き次屋三之助の捜索を続けるぞ!!いけいけどんどーーん!!」
と言う七松小平太の馬鹿デカい声が響き、同時にポイッと滝夜叉丸が放り込まれると再びスパーーーーーンッ!!!!!と戸が閉められた。
「は、え!?ちょっと!?」
目を回している滝夜叉丸の体を三木ヱ門、タカ丸と共に受け止めて、遠ざかっていく小平太の声に何の反応も出来ないまま乱太郎は乱暴に閉められた戸を見つめる。
しばらくして、ドドドドドというちょっとありえない音が消えていくと、現状を把握してフツフツと怒りが湧き上がってきたのか、珍しく怖い顔をしながら手早く布団を敷き、滝夜叉丸の怪我の確認を始めた。
「もう!後輩に怪我させないでねって何回も言ってるのに!!こへちゃん、わたしに怒られたくなくてお滝を乱暴に置いていったに違いないんだ。こんな事して、後で倍怒ってやるから!!」
ブツブツと言いながら、それでも滝夜叉丸の傷を確認し手当てをする手は優しい。
こういう所は流石筋金入りの保健委員というべきか。
「――う、」
「あ、大丈夫?滝、痛い所は?」
「らっ、乱太郎先輩?!」
冷たく濡らした手拭いで顔を拭かれた事で意識が戻ったのか、薄っすらと目を開けた途端視界に飛び込んで来た人物に、滝夜叉丸は大いに慌てて少し後ずさった。
「目ぇ覚めた?滝夜叉丸くん」
「大丈夫か」
飛び上がらんばかりの様子な滝夜叉丸に、傍に居たタカ丸や三木ヱ門が存在を主張するかのように声をかける。
「今日はどうしたのさ?」
大方、あのいけどんな先輩に付き合っていて体力を使い果たしたのだろう、と少し離れた場所から喜八郎が声をかけると
「なんだ皆して乱太郎先輩の所に集まったりして」
と前置いてから軽く頭を振った。
それに「ああ、ダメだよお滝、頭打ったの?」と乱太郎が優しく声をかけると、乱れた髪を直すように手で梳いてやる。
突然の乱太郎の行動に、滝夜叉丸は「だ、大丈夫ですよ」と耳を真っ赤にさせていたが、三木ヱ門が一つワザとらしい咳払いをすると、滝夜叉丸もそんな自分を誤魔化すように咳払いをして改めて医務室の戸の方へと目をやった。
「それが、何時もの如く逸れた次屋三之助を探して走り回っていたのだが」
「……またか」
「次屋君凄いね!」
聞いた途端三木ヱ門は呆れ、タカ丸は感心したような声をあげる。
「感心する所じゃないです、タカ丸さん」
「それで?」
「ああ、それで、丁度医務室の前に差し掛かった辺りで七松先輩が『飛べ!』と叫んだのだ。その声で全員が飛んだのは良かったのだが、電車ごっこ状態のまま、もの凄い勢いで走っていたので金吾と四郎兵衛が吹っ飛んでしまってな」
「えぇ!?」
「それを、この優秀な私は華麗に受け止めた!……だが」
ここまで聞いた喜八郎は何となく予想がついたのか、無言のまま医務室の戸を開けるとスタスタと落とし穴まで歩いていきそこを覗き込んだ。
「ここに落ちたんだ」
「うぐぐ」
「下級生二人の下敷になって目を回した滝夜叉丸を、七松先輩が拾って医務室に放り込んだ、ってとこかな」
「この平滝夜叉丸がそのような格好悪い失敗など、普段なら決して有り得ない!今日はたまたま調子が悪かったのだ!大体何故そんなところに大穴が空いているのだ。罠の目印も何もなかったぞ」
穴を指指している喜八郎に向かって滝夜叉丸が言うと、何故か乱太郎がガックリと項垂れて頭を抱えてしまっている。
「え、乱太郎先輩?!一体どうしたんです!」
「滝、ごめん。それわたしのせいだ。喜八郎くんが堀った穴を埋めなきゃ危ないって分かってたのに、暢気にお茶してほったらかしにしてたんだもの」
可愛い下級生が怪我をしたのは私の不注意だった!と瞳を潤ませる乱太郎に、滝夜叉丸は大いに焦り出す。
「え、いや、あの。って喜八郎!あの大穴はお前の仕業か!!」
「別に滝夜叉丸を落としたかった訳じゃないよ。らんたろー先輩が落ちてきてくれないかなぁって思って掘ってたんだから」
「このアホ八郎!!!」
「うう、ごめんねお滝」
「いやっ、あの、乱太郎先輩は全然悪くありませんよ!」
「あーーー!滝夜叉丸君、らんたろ君を泣かせないでよ!!」
「泣かせてなどいない!!」
「おい滝夜叉丸、猪名寺先輩を泣かすな!!」
「お前の目は節穴か!私ではなくて喜八郎に怒れ三木ヱ門!!!!!」
どうしてくれようかこの状況。
「ほら泣かないの、らんたろー先輩」
「うう、だってぇ」
「らんたろ君は悪くないよ。落ちた滝夜叉丸がいけないんだから」
「何でだ!!」
「そうですよ猪名寺先輩。勝手に落ちた滝夜叉丸が悪い」
「どうしてそうなる!!!」
「お滝、ごめんねぇえ」
「はっ!へ?!」
「怪我の治療、うんと優しく愛情込めてするから!本当にごめんねーーー」
最早、前後不覚という感じだろうか。
周りが一緒になって騒ぐので乱太郎まで訳の分からない状態になってしまっている。
滝夜叉丸をググーッと引き寄せると、その腕の中にギュウと抱き込んでおぇーんと涙をこぼし始めてしまった。
「ギャ――!!!猪名寺先輩!!そんなもん抱きしめたらダメですよ!!!」
「らんたろー先輩、抱きしめるなら僕にしなよー」
「ズルイー!!僕もギュってしてよ、らんたろ君!」
「うぅ。本当にごめんね、滝」
「は、ひぃ!あのっ!!!」
どうにもこうにも収集のつかなくなっている医務室内である。
その時だった。
その医務室の戸をそれとは知らない誰かが「失礼します」の声と共にスラリと開けたのは。
しかもタイミングが良いのか悪いのか、それは滝夜叉丸が乱太郎の体に腕を伸ばした正にその時であった。
「用具委員会の浜守一郎です。見回り中なのですが、そこに空いてる大穴を埋めても宜しいです、か……」
「はひ?」
「あぁーーーーーーーー!!!滝夜叉丸!猪名寺先輩に一体何してる?!」
事態が収まるなど、ここに泣き顔の乱太郎とそれ以外の人物が存在し、尚克その人物達が抱き合っているという状況があったのなら到底叶うものではなかった。
例えそれがどう見てもオカシい状況であってもだ。
「良く来た守一郎!滝夜叉丸を引っぺがせ!!!」
「勿論だ!離れろ滝夜叉丸!!って猪名寺先輩、滝夜叉丸を離して下さいっ」
「はぇ?あっ!ご、ごめんねお滝」
「い、いえっ!!!」
後輩に言われて漸く気付いたのか、乱太郎はそれまでギュウギュウと締めていた腕を緩めると滝夜叉丸の顔を覗き込む形で彼に謝罪を伝える。
しかしその行為は、他の四年生達に更に大騒ぎをさせる要因を与えるだけのものだった。
「滝夜叉丸!顔真っ赤にしてないでさっさと離れろ!!」
「抜け駆け禁止だって言ったじゃないかぁー!」
「タカ丸さんのさっきのアレは抜け駆けじゃないんですか?!」
「何ださっきのって!おれにも分かるように説明しろ三木ヱ門!!」
「もー、煩いよ皆。折角らんたろー先輩と二人っきりでお茶してたのに」
「そうだ、ソレだ!一番最初に問題だったのはそこだった!」
「「どういうことだ?!」」
しっちゃかめっちゃかである。
もう誰にも止められそうにないこの状況、問題の渦中にいる乱太郎も、ただ只管アワアワとするばかりだ。
普段ならこんな大騒ぎを医務室ですることなど決して許さないのだが、日頃怪我をさせないで!と口を酸っぱくして言っている自分が、自らの暢気さで怪我人を増やしてしまった、しかも医務室のまん前で……とちょっとショックを受けているらしい。
しかし、こんな大騒ぎが外に聞こえていないはずは無かった。
「おいこら浜守一郎!一体何をやっているんだお前は!!!」
用具委員会委員長、食満留三郎の登場である。
委員会活動の仕事中、医務室の前に大穴が空いているのを発見し、守一郎に保健委員会に埋めても良いか確認を取ってこいと言い渡したのは彼である。
その後、いつまで経っても彼が帰って来ないのを疑問に思い様子を見に来てみればこれだ。
というか、医務室から少し離れた場所にまで四年生達がギャアギャアと騒いでいる声が聞こえていたので、余計に一言物申さずにはいられなかったようだった。
「あ、食満先輩」
「あ、じゃない!何時までも帰ってこないと思ったら何を騒いでいるんだ!ここは医務室だぞ!」
「滝夜叉丸が猪名寺先輩に抱き着いてたんですよ!だからどうにも我慢出来なくて」
「……は?」
「バカ!六年生に猪名寺先輩のそういう話はするな!!」
一瞬留三郎の眼光が鋭くなったのを見て、三木ヱ門が慌てて守一郎の口を塞ぐがもう遅い。
「それでここで大騒ぎをしていたのか。乱太郎、お前もお前だ、何故叱らない」
それでも六年生は六年生、一つ息を吐くと事態の収拾を納める為、乱太郎に向かって声を上げる。
「うぅ、だってお滝が怪我しちゃったのはわたしの暢気のせいでもあるし。怪我人が居るんだから静かにしなさい!何て偉そうな事ちょっと言いにくくて」
「偉そうとかそういう問題じゃあないだろう」
「はい、ごめんなさい……」
しゅんと項垂れる乱太郎に、留三郎は「仕方ないヤツだな」と一つ為息を吐き頭を一つポンと叩く、そして今度は傍で気まずそうにもじもじとしている四年生達に視線を動かした。
「滝夜叉丸、怪我は平気なのか?」
「う、はい(目、目が怖いです食満先輩!)」
かけられた言葉や声は普段のそれと変わらないものの、眼光は普段のそれより鋭いのを感じて思わず布団の上でカチリと正座をし直してしまう。
「そうか、まぁ一応大事をとってまだ医務室で休んでおいた方が良いだろう。小平太には後で俺と乱太郎から言っておく。守一郎は委員会の続きだ。まだ埋めなきゃならん穴が沢山残ってるからな」
「「はい、」」
少しばかり緊張した声が返ってきたのを聞くと、一つ頷いてそのまま今度は喜八郎に視線を移す。
「それと綾部」
「はい?」
「お前も穴埋めを手伝え」
「え」
「え、じゃない。大方ここの大穴もお前が掘ったものだろう。医務室前の大穴、乱太郎の暢気で滝夜叉丸が怪我。この騒ぎお前が大いに係わっているようだからな」
そんな留三郎の言葉を聞いてだろう、乱太郎のパチンと手を叩く音が部屋に響いた。
「あ、それならわたしも手伝う。医務室の前なんだし、手は多い方が良いでしょ?」
手を打った主は何故か右手を高々と上げている。
しかしそれは留三郎によってやんわりと断られてしまった。
「お前当番なんだろう?いくらまん前とはいえ医務室を空にするのは良くない」
「……うん、そうだね。分かりました、じゃあ何かあったらわたしを呼んでね」
「分かった。ほら綾部、自分で掘った穴だろう、最後まで責任を持て」
「はぁい、分かりました」
嫌々ながらもそう返事をした喜八郎の隣で、ようやく本来の彼を取り戻した乱太郎が眉を下げて笑う。
「ね、埋め終わったら用具委員会の子達と一緒に戻っておいで。皆でお茶し」
「さー、早く行きましょう」
「ようね……って、いってらっしゃい……」
自分が言い終わらない内に、上機嫌でスタスタと医務室を出て行く喜八郎の背中に軽く手を振ると、それじゃあお湯を足しておかなくちゃ、と立ち上がる。
すると
「あー、綾部くんばっかりズルーい!」
「・・・・・・」
タカ丸のそんな声が乱太郎の耳に飛び込んできた。
それに、おや?と顔を向けると、明らかに剥れているタカ丸の顔と、何か言いたそうにしている三木ヱ門の顔がある。そんな二人を可愛く思った乱太郎は
「ふふ、皆も一緒にね」
と声をかけた。それにすぐ「本当ですか?!」と勢いの良い声が返ってきたので
「勿論、でも今度は騒いだりしないでね。わたしもしっかりするよう気をつけるから」
と笑んだ。
「「はい!」」
途端に喜色をあらわにする二人に、乱太郎も益々笑みを深くして頷いてみせる。
そして敷かれた布団の上で、未だピシリと正座をしたままになっている滝夜叉丸の肩に優しく掌を乗せると
「滝、滝も少し横になって休んで。喜八郎くんと用具委員会の子達が戻ってきたら一緒にお茶の時間にしようね」
と声をかけて微笑んだ。
「は、い///////」
自惚れが強く自己愛に満ち満ちていて、自分以外は殆どと言っていいほど興味の無い滝夜叉丸だが、どうにもこうにもこの先輩には弱かった。
美しいものを愛する彼が、唯一心の底から美しいと思ってしまった相手なのだから仕方のない事なのだろうが。
ただこの話をさせるとまぁ長いこと長いこと。
乱太郎先輩の美しさは容姿だとかそういう事ではない。勿論容姿が美しくないと言っている訳ではないぞ、まぁ私の美しさには劣ってしまうが!とか何とか、その口が止まらなくなるのだ。
兎に角、普段の彼からは想像出来ない程素直に乱太郎の言う事を聞いて寝転ぶと、その彼に優しく掛けてもらった上掛けにモソモソと隠れてしまった。
至近距離で見た乱太郎の顔に異常に照れているらしい、案外と初心な男である。
「さてと、じゃあ水を汲みに行かなくちゃね。皆のお茶を入れる分と、お滝の看病の分。一応ね」
「お手伝いします!」
「ありがとう、三木くん」
「僕も行くよ」
「おタカさんもありがとう」
にっこりと笑う乱太郎に、三木ヱ門とタカ丸の顔も知らず緩んでしまう。
三木ヱ門なんかは耳の後ろまで真っ赤になっていた。
「人数も増えたし、食堂のおばちゃんに何かお茶菓子が無いか聞きに行くのも良いかもしれないねぇ。あ、でもわたし医務室を長く空けられないんだった」
「あの!わたしとタカ丸さんが行ってきますよ」
「良いの?」
「良いよ~、らんたろ君が喜んでくれるなら何だってするよ!」
「た、タカ丸さん!」
「もう、またそんな事言ってー」
サラリと伝えられるタカ丸の言葉に、三木ヱ門はまたカチリと固まりかけるが何とか耐えた。
そして、それを笑って聞いている乱太郎の鈍感さ加減に小さく苦笑を漏らす。
タカ丸の言っている事はほぼ全て、四年生の生徒達に共通する想いで間違いは無いだろう。
しかしそれも、今はこうして乱太郎を笑顔にする言葉であるだけ。
込められた真実の意味を知る時、この先輩は一体どんな顔をしてくれるのだろう?そんな風に思い、三木ヱ門は少し先を歩く乱太郎の背中を見つめるのだった。
あはー、長くなってしまいました。
スポンサードリンク