「綾部喜八郎、どこへ行った!!」


忍術学園に響き渡る用具委員長「食満留三郎」の声を聞きながら、一年生の猪名寺乱太郎はどうしたものかと為息を一つ吐いた。
乱太郎が今居る場所は何故か薄暗く、それに加えて身動きも取り難そうな狭い空間だ。
そんな為息に反応したのだろう、その狭い空間の中でしっかりと乱太郎を背後から抱きしめて一緒に座り込んでいる男が訊ねてくる。


「どうしたの?」

「どうしたの、じゃありませんよ。食満先輩が探してますよ、綾部先輩」


そう、今まさに乱太郎と一緒にこの狭っ苦しい空間にいるのが綾部喜八郎その人であった。
どうしてこんな状況になっているのか?
それは乱太郎にも良く分からない。
ただここが綾部喜八郎という先輩が堀った落とし穴の中で、そこへ自分が狙ったようにスッポンと落ちてしまったのだ、という事だけは明確だった。
その後「え?何?!また落とし穴?!」と乱太郎がそんな風に思っている間に、縦に深く掘られた穴の底、そこから少し横へと伸びた空間からのっそりと綾部が現れて、「だぁいせいこ~う」何て抑揚も無く言いつつ自分をズルズルとその横穴へと引きずり込み、次の瞬間には自分を背後から抱きしめてドッカリと腰を降ろしてしまったのだ。
それから数分、訳も分からずただ抱きしめられ続けている乱太郎と、無言のままギュウギュウと腕に力を込める綾部の上に先程の食満留三郎の叫び声が降って来たという訳だ。


「良いんですか?食満先輩怒ってますけど」


今も穴の外で最上級生が名前を叫んでいるのにも係わらず全く動じず、一向に動く気配を見せない先輩に乱太郎は僅かに首を捻ってそちらを見やる。
ほとんど光の入らない空間の中でも、綾部が乱太郎の視線をしっかり捉えているのが分かった。


「ん。しー」

「はぁ……?」


しかし漸くこの状況を何とか出来るかもと思った乱太郎の思いとは裏腹に、綾部から発せられたのは自分の言葉を遮る単語と、おまけに唇に添えられた人差し指だけだった。


「まったく、あちこち穴だらけにしやがって。埋め戻すこっちの身にもなって欲しいもんだ」

「食満留三郎せんぱーい、綾部先輩見つかりましたか~?」


静かに、と綾部のたった一本の指で遮られた唇に、乱太郎は何故だか素直に従って穴の外の会話に耳をすます。
そこでは自分の良く知る同級生の声と、呆れたような最上級生のやり取りが繰り広げられていた。


「ああ、またどっかの穴ん中に逃げられた。もう良い、埋め戻しの作業に戻ろう。さっさと終わらせるぞ」

「はーい」

「それにしても、綾部先輩の穴掘り癖は前からですけどここ最近特に酷いですね」


次いでパタパタと走ってきた富松作兵衛の声がして


「あー、そういやそうだな。何かストレスでも抱えてるんじゃないのか」

「取り合えず人が沢山通る場所から始めましょう」

「そうだな。良し行くぞー」

「はーい!」


そんな会話をしながら少しずつ遠ざかっていった。


「行っちゃったね」


完全に全ての気配が遠ざかるのを確認してから、綾部はわざと乱太郎の唇をなぞる様にして人差し指を離す。


「もう、綾部先輩が何を考えているのかわたしには全然分かりませんよ」

「そう?」


そんな綾部の仕草を気にも留めず、流石に何時までもこのままでいるのは辛いと、乱太郎が綾部の腕を解いて横穴を這い出しながら言った。
それに文句を言うでもなく、彼も続いて這い出して来る。
そうして先程よりは明るい穴の底から乱太郎は真上を見上げるが、どうやらこの落とし穴は思っていたよりも地中深く掘られていたらしい、自分一人の力で脱出するのは到底無理そうだった。


「あー、最近良く綾部先輩の落とし穴に落ちますけど、ここまで深い穴に落ちたのは始めてですよ」


常日頃から手裏剣ですら所持していない自分が縄なんかを持っている筈も無く、諦めたように乱太郎が綾部に顔を向ければ、そこには何処か嬉しそうな表情をした綾部の顔があった。


「何でそんなに嬉しそうなんですか?」


乱太郎の問いかけを聞きながら、機嫌が良さそうにしている彼はまだここから出る気がないのか再び腰を下ろしてしまう。
それを見て「綾部がここから出る気がないのなら、自分もまた暫くはここから脱出する事は不可能だろうな」と、ここ最近異常な回数で穴に落ちている間に学習した事を頭の中でなぞりながら乱太郎も腰を下ろした。
その時、座りかけの乱太郎の体を綾部が再び抱き込もうとするのを、ダメですよ、と両手を突っぱねて拒否する。
それに詰まらなそうな顔をしながら


「今日も乱太郎が落ちてきてくれたから」


と彼は答えた。


「何ですかそれ。それにしても……富松先輩も言ってましたけど、最近の綾部先輩は穴を掘りすぎですよ」


自分の行く先行く先に掘られている落とし穴、それも巧妙に仕掛けられたそれに尽く落ちている乱太郎は少しばかりの不満を含める。
たまに同じ委員会に所属する誰かさん達が落っこちているのを見かけるが、それにしても自分が彼の掘った穴に落ちている回数は何故だかそれの比にはならない。


「だって、それくらいしないと乱太郎は落ちてきてくれないでしょ?」

「はい?」

「君はいつもあっちへ行ったりこっちへ行ったり、狙った所で落ちてくれるとは限らないんだもの。だから穴の数も増えちゃった」


どこか楽しそうに言う綾部の言葉に、乱太郎は僅かに抱えていた不平不満も忘れて首を傾げる。


「どういう事か良く分からないです」

「おやまぁ、やっぱり乱太郎はあまり頭が良くないね」

「む!」


疑問解決どころか気にしている所をざっくりと、しかも不意に突かれて思わず声を荒げると、それすらも楽しむように綾部の顔はニコリと崩れていく。
普段あまり動くことのない彼の表情筋が動いたことで、乱太郎は一瞬綾部の顔に見惚れてしまった。
その隙を逃すことなく綾部の腕が伸びて、乱太郎はそれにくるりと抱き込まれると再び先程まで居た横穴の時の状態に戻されてしまう。


「もう!一体何なんです、綾部先輩」


自分が望む明確な答えが返ってこないまま、結局また乱太郎の背中と綾部の体とが密着する形になり、そのまま満足そうに一つ息を吐き出している綾部に乱太郎は声を荒げて抗議するしかない。


「落ちてこないかなぁって、思ってるんだよ」



どうにか抜け出そうと、腕の中でジタバタと暴れる乱太郎の髪に顔を埋めるようにしながら、綾部は何とも穏やかな声でそう言った。


「……何がですか?」


静かに降ってきたそんな言葉に、乱太郎は思わず腕の中から逃げることも忘れて聞き返す。
そんな単純な乱太郎の行動に、綾部は彼からは見えないままホロリと笑みを零した。


「愛してるもの、全部」

「愛してるもの?」


思ってもみなかった彼の答えに、乱太郎の頭上には疑問符が所狭しと並べられる。
それが目に見えるようで、綾部は益々ほろほろと笑みを零して腕に力を込めた。


「ちょっと苦しいです、綾部先輩」

「ああ、ごめんごめん」

「で、一体何なんですか?」


結局綾部の腕の中から抜け出すことを諦めたのか、大人しく抱かれたまま、丁度乱太郎の顔の下で組まれている綾部の腕に頬を乗せて自分を覗き込んでくる乱太郎に


「んー。乱太郎と、乱太郎から貰える全部のモノ、だよ」


そう言って触れるか触れないか、乱太郎が気がつかない程に弱く彼の丸い頬に唇を寄せて笑ったのだった。





綾部先輩の物凄く分かり難い愛情表現。
乱太郎本体も落とすけど、いつか乱太郎の心が自分の元へ落ちて来るのを願ってる。
おいおい、どんなだよそれ。



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