「一年は組、猪名寺乱太郎。只今絶賛迷子中です!!」


だだっ広い森の中、胸を張って声を張り上げた乱太郎は次の瞬間ズシャアッと崩れ落ちた。


「っていうか、本当にここどこ~?!」


きり丸はアルバイト、しんべヱは補習と珍しく一人の時間が出来てしまった午後、時間もあるし学園内の森なら散歩にも丁度良いだろうと思って足を踏み入れたのが間違いだった。
いやいや、森に入った直後は生徒達が踏みならしてつくった道や、獣道を辿ってそれなりに楽しんでいたのだ。
そんな乱太郎の目の前をフワフワひらひらと横切った蝶。
これがいけなかった。
見た事のない色彩で不規則に舞うその美しさに、どうしてももっと近くで見たいと思ってしまったのだ。
視線で追いかけていた蝶は、ふわりふわりと森の中へと逃げていく。そのまま遠くへ消えてしまいそうな蝶に、それだけを標にしたまま乱太郎は歩いていた道を外れ、気付かぬうちに森の大分奥へと入っていってしまった。


「で、気付いたら本格的な迷子という訳です」


一体誰に向けて言っているのか。ああ、自分の阿呆さ加減を再確認する為の言葉か。
なんて、クッと涙を堪えていると、ガサガサと遠くで草を掻き分ける音がする。


「え、なに?熊?」


ビクリと体を震わせ、季節柄そろそろ熊が現れてもおかしくはない、というか、この季節の熊さんはとても凶暴な状態で現れるのではなかったっけ。と、顔を真っ青にしてキョロキョロと辺りを見回した。


「死んだふり、は却って危ないって山田先生が言ってた。走って逃げる、のも良くないって土井先生が。えぇと、木、木に登る、のはどうだったんだっけ?何か利吉さんが言ってたような」


この状況を一体どうしたら良いのか。韋駄天並みの足を誇る乱太郎でも、流石に熊との競争には勝てる気がしない、というか恐怖で足が上手く動かない。
どうしよう、どうしよう!と乱太郎が足踏みをしている間にも、その草を掻き分ける音はどんどん近づいて来る。
明らかに大きなものが近づいてきているその音に「もうダメだ!」と頭を抱えたその時。


「あ?!そこをどけ乱太郎ーーーー!!!」

「へ?」


ガサガサガサッ

ドーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん!!!!!


物凄い勢いで草を掻き分けてきた何かに名前を呼ばれたかと思うと、そのままその何かに有り得ない力で吹っ飛ばされてしまった、ようだった。


「あぁ!!乱太郎ーーー!!!」


訳も分からず宙を舞う自分に、先程とは違う誰かの声がかけられるのを聞いて、乱太郎の意識はそこでプツリと切れたのだった。



「う、はぇ?」

「目が覚めたか乱太郎」


ピタピタと頬を叩かれる感覚に、乱太郎は重い瞼を抉じ開けた。
ぼんやりとする目を擦って眼鏡を掛けなおすと、そこには視界一杯に広がる誰かの顔。


「にゃっ?!」

「猫みたいだな!」

「……神崎左門先輩?」

「そうだ」


あまり頻繁に話すことはないが、それでも良く知っている先輩の名前を呼ぶと、その人は満面の笑みを浮かべ頷いてから少し離れた。
ムクリと体を起こせば、それを待ってからもう一つ違う声がする。


「悪い悪い。まさかあんな所に乱太郎がいるとは思わなくて」

「次屋三之助先輩!」


左門の隣でポリポリと頬を掻いている人の名前を呼べば「おう」と軽く返事をされた。


「いやーしかし、まさかあんなに吹っ飛ぶとは、ちゃんと飯食ってるか?」

「は、ご飯は美味しいです」

「そうか!それは良いことだな!!」


何だかよく分からない会話を三人でしつつ、乱太郎は体についた土や埃を払いながら立ち上がる。それを手伝ってもらいながらチラリと二人を見れば、何故かその体には千切れた縄がぶら下がっていた。


「あの、それ」


もう何だか聞かなくても容易に想像出来るのだが、敢えて乱太郎はその縄を指差して尋ねた。
すると二人は下がっている縄をつまみ、それをぶん回しながら


「ああ、これか?さっきまで作兵衛たちと一緒に放課後の自習をしていたんだ」

「なのに何時の間にか作兵衛たちは消えていた」

「困ったもんだ」

「全くだ!」


と(何故か)胸を張る。


「・・・・・・そうですか」


やはり。と乱太郎は為息を吐いた。
大方、富松作兵衛が繋いでいた縄をぶっち切ってここまで爆走してきたのだろうとは思ったが、予想通り過ぎて他に言葉も出て来ない。


「ところで乱太郎はここで何をしていたんだ?一年生がこんな森の奥まで入り込むなど危険だぞ」


ガックリと頭を垂れている乱太郎に、左門が周りを見回しながら言う


「しかも一人だし。もしかして迷子か?」


続けてニヤニヤと笑いながら言う三之助に、思わず乱太郎はぷぅ、と頬を膨らませてしまった。


「お、何だその顔」


膨れた乱太郎の頬を、面白がってムニムニと弄くる三之助。
その頬が思っていた以上に柔らかかったのだろう、悪戯っ子のようだった三之助の笑みは、何時の間にか可愛いものを愛でるそれに変わってしまっていた。


「ひゃめてくらひゃいー!んむぅ。もう、迷子っていうなら先輩達だって迷子なんじゃないんですか?こんな所をお二人だけで爆走してくるなんて」


すまんすまん、と殆ど心のこもっていない謝罪と共に開放された頬を解しつつ、乱太郎は並んで立つ二人をじとりと見つめる。


「何を言っている乱太郎、迷子は作兵衛たちだろ」

「そうだぞ乱太郎、わたし達が作兵衛を探してやっているのだ!」

「はぁ……」


ダメだ、今この二人に何を言っても無駄だ。乱太郎は再びガックリを頭を垂れてしまう。
そんな乱太郎に


「そうだ乱太郎、俺たちと一緒にこい」


と唐突に三之助の声が掛けられた。


「はい?」

「そうだな、モタモタしていると日が暮れてしまう。一年生がこんな所にいるのは危ないぞ。わたし達と一緒に森を出よう」


それを聞いた左門も同意し、サッと乱太郎の手を取って一際大きく頷いている。
しかし乱太郎には大きな不安があった。


「・・・・・・・」

「何だ?」

「出られるん、です?」


そうなのだ。
一緒に出ようと言ってくれるのは大変有難いのだが、何せこの二人は学園内でも有名な方向音痴である。素直にこの森から出られるとは到底思えない。


「何言ってんだ。ここは学園内の森だぞ、俺たちが出られないわけないじゃないか」

「うむ、その通り。出口は」


『あっちだ!』


ビシっと差し出された二人の指。


「見事に交差してますが」


完全に違う方向を指している先輩二人の指先に、乱太郎の頭は三度ガックリと垂れ下がってしまう。


「何を言っている三之助!出口はあっちだ」

「違う、あっちだろ?」

「きっとどちらも違うと思います……」


それぞれが全く違う方向を指差して、あっちだこっちだと騒ぎ出す。
これはやはり容易には学園に辿り付けないぞ、と乱太郎は困ったように眉を下げたのだった。





「あ、蝶々」


ヒラリと目の前を舞う蝶に、思わず乱太郎は声を上げた。
テクテクと自分の歩調に合わせて歩いてくれている先輩二人に「見えました?」と笑い掛ける。
あれからどれくらい経ったか、最初こそ勢い良く突っ走っていた二人だが、乱太郎の息が上がりきってしまったのを見止めるとその歩調を緩めてくれたのだった。


「あの蝶、珍しいか?」

「はい、初めて見ました」

「わたしは良く見かけるが」

「俺も」


先程よりも太陽の位置が動いているとはいえ、まだまだ明るい森の中。
今自分がどの辺りを何処を歩いているのか見当もつかない乱太郎だったが、何だかそれも段々楽しくなってきてしまっていた。


「お二人は良く森にいらっしゃるからですよ」

「そうか。確かにあの蝶、森の奥で良く見かけるような気がするな」

「私は森の奥にはあまり行かないので」

「まぁ危ないからな、一年生の内は一人で行くのはやめて置いた方が良いぞ」

「はい」


こんな風に、これまであまり会話をした事が無かった二人の先輩と話ができるのがとても楽しく、嬉しかったのだ。
しかし、だ。


「それにしても、中々たどり着きませんねぇ」

「お、疲れたか?」


既にかなりの距離を移動しているはずなのに、一向に学園の建物は見えてこない。
いくらこの状況を乱太郎が楽しんでいると言っても、三年生と一年生では基礎体力が違う。
流石にキツくなってきたか、と三之助が問うと、乱太郎は「いえ!」とブンブン頭を振った。
それでも乱太郎からは小さな為息が幾つか漏れ出ていて、それが蓄積された疲れから出ているものである事は明白だった。


「無理をするな。あそこで休むぞ、乱太郎」

「は、はい」


それを無視する事など当然できない左門と三之助は、軽く乱太郎の手を引っ張って腰を下ろせそうな木陰へ連れて行く。
そういえば何時の間に繋がれていたのか、乱太郎の両手はそれぞれの先輩の片手と仲良く結ばれたままになっていた。


「ふぇ。はぁ、いい天気」


木陰に腰を下ろした途端、乱太郎はぐんにゃりと大木の幹に背中を預けてしまう。
はふ……と息を吐くと、そのまま空へと視線を移し深く息を吸い込んだ。
自分ではそれほど疲れていないと思っていたのだが、それは見当外れだったらしい。


「本当、いい天気だなぁ」

「ですねぇ」

「お、あの雲。山田先生に似ているな」

「えぇー」


言いながら乱太郎の両隣に腰を下ろした左門と三之助は、彼と同じように幹に体を預けてボンヤリと空を眺める。


「そういえば、わたしはこんな風に空を眺めるなんて久しぶりかもしれないな」

「俺も。外で昼寝とかする割には空を眺めるなんてなかったかも」

「え、先輩達もお外でお昼寝なさるんですか?」

「まぁ、あまり頻繁にではないが」

「五年生や六年生の先輩方もたまにしてるぞ。でもまぁそれぞれ時間の使い方が違うからな。乱太郎が知らないのも無理はないんじゃないか」

「ほぁー、五年生や六年生の先輩もですか。なんだか想像できません」

「ははは、そうかもしれんな」


二人から聞かされた意外な事実に、乱太郎は目を真ん丸にして驚きを隠せない。
自分達一年生は昼休みや放課後、天気の良い日に良く外で昼寝をしているのだが、その近くに上級生の姿を見たことは無かった。
というか、そういう事を先輩達はしないと何だか勝手に思っていたのだ。


「そっか、でもそれなら」

「ん?」

「なんだ?」


少し首を傾げ、何事かを考える仕草の乱太郎に、左門と三之助は興味深げに次を待つ。


「一緒にお昼寝とか、したいですね」


次いで発せられたのは、そんな可愛い言葉だった。
花も綻ぶ笑顔とはこういう事を言うのだろう、にこにこと浮かぶその笑顔はどこまでも暖かく柔らかい。


「あ、でも折角のお休み時間に下級生がいるのは邪魔でしょうか」


言ってしまってから「しまった!」と慌てだす。
そんな乱太郎の様子に、左門と三之助の二人はお互いの顔を見合わせ思わず笑い出してしまった。


「な、なんですか?」

「いや、可愛いことを言うなぁと思って」

「え」

「うむ。乱太郎は可愛いな」


カラカラと笑いながら、二人は乱太郎の頭をポフポフと軽く叩く。


「か、からかっちゃイヤです!!」

「ほら、そういうところが可愛いんだって」

「まったくだ」


尚も笑い続ける先輩二人に、乱太郎はむぅー、と少し頬を膨らます。


「まぁまぁ、怒るなよ乱太郎」

「そうだぞ。わたし達は乱太郎をからかっている訳ではないのだからな」

「本当ですかぁ?」

「そうなの」


信じられない、と頬を膨らませる乱太郎に、先輩二人は益々頬が緩んでいくのを感じずにはいられない。
そして「取り合えず今は少し休んで、乱太郎に元気が戻ったら一亥も早くこの森を出よう」と視線だけで頷きあった。


(そうしたら、可愛い君を挟んで三人で昼寝をする約束をしよう)


ひらりと三人の前を過ぎた蝶を眺めて、左門と三之助は乱太郎の頭を撫でて笑ったのだった。




三人で迷子。
この後無事に帰れたのか?
乱太郎を探してたは組と、方向音痴二人を探してた三年生に見つけてもらえたか、もしくは奇跡的(失礼)に自力で帰れたか…。



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