「メルディは少し変わってるんだ。メルディのお父さんとお母さんが変わってるからなのかな?」
「あら、そぉ?」
「メルディのお父さんにはエラーラがついてないんだよ。おでこツルツルなの。それにね、シゼルとバリルはとてもとてもメルディの事を大事にしてて、いつも一緒にいるんだ。そりゃ僕のお父さんやお母さんだって僕の事をとても大事に思ってくれているけど、メルディのとこみたいに全てに親身になったりはしないよ。だって僕は僕、親は親だし」
「うんうん、それで?」
「メルディのお家はセレスティアではちょっと特殊だと思うな、僕。あ、でもね、僕そんなメルディの家が嫌いなわけじゃ無いんだよ。少しだけ変わってるなって思うだけ。だってバリルもシゼルもとっても良い人達だし、それにメルディはとっても可愛いんだ!!」
「あらま」
「僕メルディの事がすごく好きだよ。今はまだ子供だけど、あと少ししたら独り立ちだから、そしたら一杯頑張って自分の力で家を建てて、腕の良い武器職人になって、必ずメルディに僕と一緒になってもらうんだ」
「ふふっ」
「今はメルディはアイメンには居なくて、少し遠い所に居るんだけど、でも何時かまた此処に戻ってくるって言ってたから、それまでにきっと立派な大人になってメルディに凄い武器を造ってあげるんだ!」
「それは頑張らなきゃだね。ハミルト」
――――――
遠い日の夢で目が覚めた。
こんな夢を見たのは、メルディの笑顔が見たいと思っているからだろうか。
あれから4年、ガレノスに連れられて此処アイメンに戻って来たメルディはあの頃の彼女の面影を少しも残していなかった。
痩せ細り、大きな瞳に光はなく、全身傷だらけ。
色の無い顔に表情はなく、鈴を転がすようだったあの明るい声が聞けることもない。
何時でも何かに怯えたような顔をしていて、彼女の体は時を止めようとしているかのようだった。
聞けば、既に始まっていた女性としての成熟の証も全くこなくなってしまったそうだ。
彼女の身に何があったのか、バリルやシゼルは一体どうしてしまったのか、聞きたいことは山ほどあるが、今の彼女にそれを聞くことは決してしてはいけないのだと街の誰もが分かっていた。
中には彼女の傷をえぐる様な事を口走る輩も居たが、そんな人間はアイメンの街の中に居ることを許されなかった。
それだけバリルとシゼルは信頼される人物であったし、かつてのメルディは明るい素直な愛される子だった。
いや、彼ら家族自体が愛されるべき存在だったのだ。
コツンッ
軽く壁を叩く音に振り返ると、そこには彼女を連れ帰って来た人物、ガレノスが立っていた。
「ハミルト、私は少し出掛けるでの。その間メルディを見てやってくれんか」
目覚めたばかりの目を擦り、『もちろん』と頷く。
あんな夢を見たせいか未だ頭の中はハッキリと覚醒はしていなかったが、それでも『メルディ』という単語にはしっかりと反応する自分の脳に少しばかり苦笑が漏れた。
「すまんな」
「いいえ。俺が出来る事なんて限られていますし」
今の自分に出来ることといえば、彼女の傍についていることくらいしかない。
それがとても悔しかった。
彼女の傷を癒してあげられる自信もなければ、その方法も分からない。
「そんな顔をするものではないよ。今メルディに必要なのは傍に居てくれる存在なのだから」
自分の心の中を見透かされてしまった様な彼の言葉にハミルトは一瞬だけ眉をしかめたが、それでもガレノスの言葉に素直に頷いた。
それを見たガレノスは、うんうんと何回か頷くと「ではな」と言って出て行った。
「メルディ―」
ガレノスが居なくなった部屋の中で、ハミルトは小さく呟いた。
そして急いで着替えを済ませると、彼女の家へと急いだのだった。
※―※―※―※
「メルディ、入るぞ?」
物音一つしない部屋の中で、今日も何処かをボンヤリと眺めているのであろう彼女の部屋のドアを軽くノックすると、返事を待たずに中に入った。
ガレノスが連れ帰った日から今日まで、彼女が口を開いたことは無いから、返事が返ってくる事は無いのだ。
「少しでも寝たか?」
蒼い顔をしてベッドの上にいるメルディに問い掛けると、彼女は力無く瞳を俯かせてしまった。
「寝てないんだな」
溜息混じりに言うと、今度は途端に縋る様な瞳で自分を見つめてくる。
「大丈夫だ。それでメルディを責めたり怒ったりしない」
ホッとしたような表情で再び俯くメルディ。
彼女は深く眠ることをせず、こうして溜息をつかれたり眉をしかめたりされる事に異様に敏感になっていた。
何故こんな事になってしまったのか、ある程度までは想像することは出来るがそれを信じることが出来ない。
第三者がこんなになるまでメルディを傷め付けることなど、バリルやシゼルがいれば絶対に許さないだろう。
だったら彼女がこれ程までに変わってしまったのは、彼女を守るべき存在が居なくなってしまったからか、それとも――。
ハミルトはブンブンと頭を振ると、メルディを抱き起こして着替えるように言う。
「今日もサグラのとこに行くけど、一緒に行くか?」
コクン…
問われたメルディは、ハミルトの服の裾を掴んで頷いた。
ハミルトも成人した身、仕事に行かなければ生きていく事が出来ない。
しかしこんな状態のメルディを部屋に一人にしておくことは出来ないので、ハミルトが仕事をしている間、メルディはサグラの家にやっかいになっているのだ。
サグラの家の隣にはロッテという女の子が住んでいて、今は離れている両親の元にもうすぐ生まれてくる新しい家族を心待ちにしている。
それを嬉しそうに話すロッテを、メルディは乏しい表情ながら僅かに微笑んで聞いていた。
今はまだ満面の笑みを見せてくれることはないけれど、僅かでもメルディがそんな風に微笑みを浮かべることが出来るならそれでいい。
ハミルトは仕事をしながらメルディを横目に眺め、何時もそんな風に思っていた。
少しずつでいい、ゆっくりでいい、彼女がまた笑える日が来るのなら、自分は何年だって待つことが出来る。
「じゃあ行くぞ」
「・・・・・・」
「ほら」
「・・・・・・」
差し出された手を強く握り、メルディはハミルトに引っ張られて歩く。
最初はメルディがあまりにも強く手を握るものだから驚いてしまったけれど、それにも今は慣れた。
痛いくらいに握られた手は、メルディの心を写す言葉の様にも思えたし。
「今日はどうする?部屋にいるか?俺と一緒に店にいる?」
顔を覗き込むようにして問えば、ハミルトが何時も作業している場所を指差して握った手を一層強く握り締める。
「わかった」
「お、今日はメルディは店にいるのか?メルディが店に出てる日は売り上げが上がるから助かるぜ」
ブレンダと共に開店準備をしていたサグラが豪快に笑った。
この夫婦が良い人柄で良かったと、ハミルトは常々思っている。
初めてメルディを店に連れて来た時も、あまり深いことまで聞かずに彼女を受け入れてくれたのだ。
それどころか「ハミルトの彼女」なんてブレンダに紹介をして、自分を大いに慌てさせてくれた。
あれから二ヶ月立つが、未だ表情や声が戻らないメルディに対して二人は優しく愛情を注いでくれている。
「メルディは可愛いからね。お客さんの中にはメルディに会いたくて来る人もいるのよ」
「ハミルトもうかうかしてっとメルディを奪われちまうなぁ!」
「なっ//////」
「ほらほらサグラ、あんまりからかうもんじゃありませんよ」
わっはっは!と笑うサグラを急かし、ブレンダは忙しそうに店の中を掃除し始めた。
「ったく・・・・・・」
照れ隠しに悪態を着くと、ハミルトはメルディをカウンターの内側に座らせて自分も店内の掃除を始める。
後ろで自分を見つめている彼女を思うと、少し心が熱くなった。
バンッ!!
「ハミルト、メルディ来てるー?!」
乱暴に壁に手を着いて、開口一番そう叫んだのはロッテだった。走って来たのか、額に汗の球を光らせている。
「―居るが。乱暴にするなと何度言ったら分かるんだ」
「ごめん。でもこれは一刻も早くメルディに知らせなきゃと思って!」
「なんだなんだー?またロッテかぁ?」
騒ぎを聞き付けたサグラが店の奥から顔を出してきた。
勢いよく手を叩き付けられた壁にまた一つ引っかき傷が増えているのを見て思わず苦笑いを浮かべる。
「ごめんサグラ!この傷きっと直すから!!」
「あぁ、まぁ良いけどよ。それよりどうしたってんだ」
「そうよそうそう!メルディ!一緒に来て」
カウンター内にちょこんと座っていたメルディを見つけると、彼女の手をとって勢いよく走り出そうとした。
「お、おいロッテ!」
「なによっ!!!」
「何じゃない。メルディをどこに連れていくつもりなんだよ」
「もー煩いわね!メルディはハミルトだけのものじゃないんだからね!それに私は今凄く急いでるの!!」
「だからって勝手にどっか連れていかれちゃ困るんだよ!ガレノスに頼まれてるんだぞ」
「赤ちゃんが生まれそうなのよ!」
「―――は?」
「なんだァ?ロッテもう赤ん坊生むのか」
「やだサグラ、私じゃないわよぉ」
急いでいるという割にはサグラと冗談を言って笑っているロッテに、ハミルトは言葉も無く固まっている。
「だからァ!うちの母さんが産気付いてるの。メルディ、赤ちゃんが生まれるの楽しみにしててくれたじゃない。だからこれはメルディを呼んでこなくちゃって思ったの!!」
「ちょっとロッテちゃん、リンネルが産気付いてるって言った?」
「あ、ブレンダ。そうなの、さっき急にね。父さんがあたしんちに知らせに来てくれたの」
「女がロッテ一人じゃ大変でしょ。私も行くわ」
「ホント?!助かるわ!って事でメルディとブレンダは借りていくから!」
「おお、店は任せとけ」
「ごめんなさいねサグラ」
あれよあれよと話が進んでいくなか、ハミルトだけがそれに着いていっていない。
「ハミルト、お前も一緒に行ってやれ」
ボーッと突っ立ったままになっているハミルトに、サグラが肩をバシッと叩いて声をかけた。その拍子に我に返ったハミルトは師匠の言葉にオロオロとするばかりで一向に動こうとしない。
「メルディの傍に居てやれよ」
「!!」
サグラの一言に動きを取り戻したのか、ハミルトは急にメルディの手をとって走り出した。
「?!」
「一緒に行こう、メルディ」
「ちょっとーー!!」
突然メルディを奪われたロッテは、目を真ん丸にして驚いて声を荒げた。
しかしその叫びなど聞こえていないかのようにハミルトは走っていってしまった。
「ロッテ、急ぎましょう」
不意に肩を叩かれて振り向くと、ブレンダがお産に必要なものを一式抱えて立っていた。
「あ、そうよね!」
もう見えなくなってしまった二人を追って、ロッテとブレンダも急いで家に向かうのだった。
◇―◇―◇―◇
「ほらリンネル、頑張って!イキむのよ!!」
「母さん、もう少しよ!」
家に着いて程なくして始まったお産に、ロッテもブレンダも汗をかいて対応していた。
傍で見ているメルディは、不安そうななんとも言えない表情でそれを見守っている。
僅かに体が震え、目の前で苦しみ叫ぶリンネルに今にも泣き出しそうだ。
「大丈夫だメルディ。ブレンダもロッテもついてる」
小刻みに震え、しっかりと自分にしがみ付いているメルディを優しく抱きしめてハミルトは声をかける。
不安げな瞳で見上げてくるメルディに、抱きしめる力も一層強く優しくなった。
「頭が!母さん、頭が出てきたわよ!」
「さぁリンネル、もう少しよ!」
―うぎゃぁっ・・・ふぇ・・・ほぁァァァっ!!!
「やったぁ!!」
「おめでとうリンネル、元気な男の子よ!」
元気な産声を上げたのは小さな男の子。真っ赤な顔をして、この世界に生まれて来た事に期待と不安を抱いて声のかぎりに泣いている。
その姿はとても愛しく、ほほえましかった。
「わぁ、私、お姉さんになったのね」
「そうよロッテ。あなたは今日からお姉さん。この小さな弟をしっかり守っていかなくてはね」
「うん!わぁ、元気な子ね。そんなに暴れたら痛いわ」
生まれたばかりの小さな弟をしっかりと抱きしめて、ロッテはこんなに幸せなことは無いという笑顔を浮かべている。
「よかったな」
メルディを抱きしめていた腕の力を少しだけ緩めると、ハミルトは一つ安堵の溜息をついてメルディに微笑みかけた。
腕の中で震えていた彼女は、ハミルトにしっかりとしがみついて瞳を潤ませていた。
「メルディ、メルディもこの子を抱いてあげて」
「!!」
優しく差し出された小さな命に、メルディは一瞬怯んでしまった。
こんな小さな命を抱いたことは今までなかったし、自分みたいなモノが、この生まれたての純粋な微笑みを抱いていいのかと不安と恐怖を抱いてしまったのだ。
しかし
「この子もメルディに抱いてほしいって言ってる。ずっと生まれてくるのを待っててくれてありがとうって言ってるわ」
そんなロッテの言葉と、ブレンダが優しく抱きかたを教えてくれたのとで、メルディは怖ず怖ずと赤ん坊を抱きしめた。
その姿を見ていたハミルトは、思わず優しく切ない気持ちになってしまった。
「ロッテ、この子の名前、決まっているのか?」
「もちろん!ボンズっていうの」
ハミルトに問われたロッテは、胸を張って答えた。
いい名前でしょ?と得意げな顔をして笑っている。
「メルディ、この子の名前はボンズというんだそうだ」
柔らかく温かな命を優しく抱いているメルディに、ハミルトは小さな声で囁いた。
やっと落ち着いて来た赤ん坊を起こさないようにという配慮だ。
「ボンズは私だけの弟じゃないわ。メルディの弟でもあるのよ。だってメルディは毎日この子が生まれるのを待っていてくれたんですもの!」
青い顔をして、ともすればその命の炎が消えてしまいそうなメルディが、唯一ほんの僅かに表情を和らげたのがこの子。
ロッテから話を聞くたびに、その時だけは微笑んでいた。
それを知っているから、ハミルトもロッテもブレンダも、リンネルでさえもそれを否まなかった。
「あ、ぅ」
天使の微笑みを浮かべたその子は、少しだけ身をよじって愚図るような素振りを見せた。
しかしそのまますやすやと寝息を立てて眠りの世界に落ちていったようだ。
その様子を抱いたまま見ていたメルディは、そっとその子の頬に指を延ばす。
すると小さな赤ん坊は、その小さな指でメルディの指をしっかりと掴んで再び微笑んだのだ。
純粋で無垢なその微笑みに触れて、思わずメルディの瞳から大粒の雫が零れ落ちる。
「メルディ?」
「かわ、いいな」
「!!!」
「メルディ!」
「メルディ、声・・・・・・!」
名前を呼ばれても、メルディは涙を零しながら小さな微笑みを見つめるばかりだった。
「カワイイな。―ボンズ」
久しぶりに声を発する喉は少し掠れてうまく音を発してはくれなかったが、それでもメルディの口から零れるのは確かに、間違いなく彼女の声だ。
「ありがとな」
ボンズをロッテに抱かせると、メルディは未だ涙を流したままで言った。
声が出せるようになった事、話せるようになったことにちゃんと気付いてはいないようだ。
それでも今までの自分と違って、思いを言葉で伝えることが出来るようになったのは本能で気付いているように見える。
「メルディ」
「ありがとな。ハミルト、ロッテ、ブレンダ、それにリンネルにボンズも」
「メルディ、メルディ!」
「ダイブ少し苦しいよ。ハミルト力強いからな」
抱きしめられた体が痛くて、あまりにも強く抱きしめるから息がうまく出来なくて、メルディは涙を沢山流しながら笑った。
久しぶりに使う顔の筋肉は固まってしまっていて、何だか少し自分のものでは無いような気がしたけれど、それでも顔は自然と笑顔を作る。
「おかえり。メルディ」
なんて優しい声。なんて優しい言葉。なんて温かい腕、身体、心。
「ただいま・・・・・・」
全部が嬉しくて、全部が愛しくて、メルディはまた泣いた。
ハミルトも泣いていた。
皆泣いていた。
「メルディ」
愛しい少女の名前を呼ぶ。
「はいな。ハミルト」
愛しい少女が名前を呼んでくれる。
「メルディ」
「ハミルト」
それがこんなにも幸せな事だなんて今まで知らなかった。
名前なんて個人を識別するためだけの記号のようなものでしかないと思っていたのに。
「ハミルト」
――あぁ、本当に、こんなに幸せなことはない。
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