※オリキャラが出ます、苦手な方は閲覧をお控え下さい。
※未来捏造


―ザッ

久しぶりに降り立ったインフェリアの地は、春の柔らかな風と、弱く薫る緑でそれはそれは美しかった。
靴底越しのふくよかな土と草は、それだけで至福を感じさせてくれる。
今回キールが一人インフェリアへと帰って来たのにはある理由があった。
それは今までの彼の人生の中においてもとても大きな出来事で、同時に今もラシュアンで暮らしている二人の幼なじみにとってもそれは同じ意味を持っている。
嬉しい報告をする為にやって来たキールにとって、今のインフェリアの気候はより気持ちを浮き立たせる充分な要因の一つになっていた。とはいえメルディを一人セレスティアに残して来たのは気掛かりだ。
しかし今の彼女をインフェリアまでの長旅に同行させる訳にはいかない。
『一緒に行く!』と言って聞かなかった彼女を何とか説き伏せて、やっと今日遠く離れたこの世界、生まれ育った大地に降り立ったのだ。


「やれやれ、先はまだ長いな」


キールが乗ってきたセレスティアからの連絡船はインフェリア港までしか行かない。ここで降りるしかないキールは、これからまたラシュアンに向け出発せねばならない。
一つ溜息をついて荷物を持ち直すと、とりあえずミンツ港まで行こうと連絡船乗り場を目指した。


□ ■ □ ■ □ ■


「はぁっ、やっと着いた…」


セレスティアからインフェリア、インフェリア港からミンツ港と長い長い船旅を続けてきたキールは、すっかり固まりきった腰や肩をゴキゴキと動かしながら溜息をついた。
ここからは馬車にでも乗せてもらいながらラシュアンまで目指すことになる。
実はアイメンの街を出るときにチャットが『バンエルティア号に乗って行けば』と嬉しい提案をしてくれたのだが、彼女は今や船の操縦士を育成するための優秀な教員だ。
そんな彼女が暇なわけもなく、まして私用で引っ張り回すわけにもいかないので断ってきたのだ。


「さて、ラシュアンまでとは言わないが、せめて近くまで行く馬車があれば良いが…」


言いながら人や荷車が行き来するのをキョロキョロと眺めていたその時だった。


「お?そこにいんのはキールじゃねぇか?」


背後から威勢の良い声がして、次の瞬間もの凄い強さで肩を叩かれた。


「ぅわっ!」


そのあまりの強さに前につんのめり転びそうになるのを何とか踏ん張り耐えると、ジンジンと痛む肩を摩りつつ声のした方を振り返った。


「いきなり何をするんだ!」


声の主の確認より早く口にしたが、張本人はケラケラと笑いながら手をヒラヒラと振って、全く気にしていない様子だ。


「久しぶりだなぁ。2年半ぶりか?あれ?今日は嫁さん連れてないんだな」


口を挟む隙も与えずそこまで言うと、何やら恨めしそうにこちらを睨んでいるキールにやっと気づいて首を傾げた。


「何やってんだ?」

「・・・何でもない。それより何でミンツ港なんかに居るんだ」


目の前にいる人物はラシュアンの住人で、しかも商人ではない農民だったため、ミンツ港に居るのは何だかとてもおかしい事のように感じる。


「あぁ、マンナ婆さんのラシュアン染めを納品しに来たんだ。こっから船でバロールまで運んでもらうのさ」

「へぇ」

「いやぁ、マンナ婆さんもすっかり歳とっちまって。ミンツ港まで行くのは億劫だって言い出してな、それで俺が代わりに来たってわけさ」

「あの元気な人が」


マンナ婆さんはラシュアン名物の元気な女性だった。
ラシュアン染めの名人で、彼女の染めた織物は得に高く取引される程だ。
それに声が大きくパワフルで、何でもハキハキとものを言う明るい人だった。
キールがラシュアンを出る時には既に80歳を裕に越えていたが、それでも愛用の杖を片手に何処へでも出掛けていく程元気だったのたが…。


「歳には勝てないってよ。あの婆さんからそんな台詞を聞くことになろうとは思わなかったぜ」

「同感だ」

「ところでキールはラシュアンに帰る途中か?俺も今から帰るとこだから乗ってけよ」


彼からの有り難い申し出を断る理由もなく、キールは「すまない」と一言告げると彼が乗り込んだその隣に腰を下ろした。


「で、話が戻るけど、今日は嫁さん一緒じゃねぇのか?」


馬車を走らせながら言った彼に、キールは僅かに顔を赤くして顔を背ける。


「なに今更照れてんだよ!お前達がラシュアンで式挙げてからどれくらいたってると思ってんだ」


それはそうなのだが、やはり人に改めて言われると何だか落ち着かないと言うか何と言うか。
彼女が自分の妻になったことを再確認させられて、何だか無償に照れ臭い。


「いつまでも初なこったな」


言いながらニシシ、とからかうような笑みを浮かべる。


「メルディならセレスティアに残ってもらった。今のあいつに長旅はさせられないんだ」

「なんだ、体調でも崩してんのか?」


その割には深刻な顔してねぇな、と首を傾げるが、キールは違うと掌で否定してみせた。


「体調を崩してるわけじゃないんだ。ただ、今のメルディの体に負担をかけさせる訳にはいかないんだよ」


少し照れたような、そんな顔で言う。


「お?おぉ!?それってまさか!」


キールの言わんとしている意味を的確に汲み取って、そのあまりの驚きにすぐに言葉が出てこない。
そんな彼の驚いた様子に、キールはますます照れ臭くて顔を背けてしまった。


「そりゃめでたいなぁ!そうかそうか、そりゃインフェリアまでの長旅は辛いよなぁ!お前の嫁さん細っこいしな、そうかそうかぁ」


まるで自分のことのように喜ぶ彼に、普段は素直でないキールも流石に感謝の言葉を述べずにはいられなかった。



□ ■ □ ■ □ 



「ぅおーい、キール連れて帰ったぜー」


ラシュアンに着くなり馬車から降りることもせず大声で言うと、じゃあ俺は馬を休ませてくらぁ、と彼はさっさと行ってしまった。
彼の大声に気づいた村人の何人かが、自分の姿に気がつき駆け寄って来てくれる。
しかし皆一様にキールの隣をジッと見てから首を傾げてしまう。
彼等の言わんとすることは容易に想像出来たので「メルディならセレスティアだ」と言った後、一つ溜息を吐いた。


「キール!!」


そんなやり取りをしている中、遠くから良く知った声が自分の名前を呼んで、キールはそれに答えるように手を挙げた。
「元気だった?」と笑いながら駆け寄って来たのは、キールの大切な幼なじみの一人、ファラだ。


「久しぶりだねぇ!最近セレスティアに遊びに行けなくてごめんね」

「謝る事じゃないさ。畑もあるだろう、それに僕達も滅多にインフェリアには来られなかったんだし」

「ありがと!今調度リッドが猟から帰って来たところなんだ。先に私の家に行って待ってよう」


ニコニコと笑いながらキールの荷物の半分を持ち、さぁさぁ!と歩き出す。
変わらない彼女の明るさに笑みを零しながら、久しぶりの故郷の土を踏み締めて歩いた。


「座って。お茶飲む?」

「あぁ」


カタン、と椅子に腰を下ろすと、ファラが目の前にティーカップを置いてくれた。
そして自分も腰を下ろすと、一通の手紙を手に取る。


「手紙ありがとう。リッドも読んだって。報告したいことがあるからインフェリアに来るだなんて、突然でビックリしちゃったよ」

「二人にはどうしても会って報告したかったんだ」

「メルディが一緒じゃないってことは…」


――バタン


「キール!久しぶりだなぁ」


ファラの声に被さるように扉が開き、その後これも良く知った声が明るく言った。


「お帰りリッド。今着いたとこだよ」

「そか。報告したい事があるだなんて、一体何をやらかしたんだキール」


相変わらずの憎まれ口に、やれやれ、とファラが肩をすくめる。
言われた本人はそれすら懐かしいのか、やや時間を空けてから「違う!」と否定の声を上げた。


「今その話をしてたの。メルディが来てないって事はそれに関係してるのかなーって思ったんだけど」


とりあえず座りなさいよ、とリッドに椅子をひきながら首を傾げるファラに、キールはコホンと一つ咳ばらいをしてから畏まった顔で話し出した。


「手紙にも書いたとおり、今日は二人に報告があって帰ってきた。ファラとリッドにはどうしても会って伝えたかったから。
今日メルディが此処に居ないのは僕が止めたからなんだ。アイツはどうしても行くって聞かなかったんだが、今のメルディに無理はさせられない」

「うん」

「無理させらんねぇって、病気にでもなったのか?」


神妙な面持ちで話すキールに、ファラはただ頷き、リッドは眉間にシワを寄せる。


「いや、それで報告なんだが…」


シンと静まりかえった家の中に、外から聞こえる人の会話や物音がやけに大きく響いた。


「父親になるんだ」


そしてたっぷりと呼吸を置いて、ただ一言キールが言った。


「え…父親…って…キールが?」


突然の事に脳内の処理が追いつかないのか、ただ言われたことを確認しようとファラが口にすると、問われたキールは深く深く頷いてから言った。


「ああ。メルディが今妊娠してて、だからセレスティアに残ってもらった。来年、僕は父親になる」


落ち着いたキールの口調に、思考が追いついていなかったファラが戸惑いながらも笑みを浮かべる。
それまで黙っていたリッドもコクコクと数回頷くとニカッと笑ってみせた。


「キールが父親ねぇ、メルディに似ると良いな。子供」

「なっ!」


人生の中でほんの数回しか訪れない幸せな瞬間に、リッドは心底喜びながらもまず憎まれ口を叩いてみせた。
それは彼なりの祝福を含んでいると知っていたから、キールもファラも本当に怒りを感じたりはしなかったが。


「おめでとうキール!メルディにもおめでとうって伝えてね。また改めて手紙書くけどね!」

「あぁ。伝えておくよ」

「…でも赤ちゃんかぁ、なんか凄いね。キールとメルディがお父さんとお母さんになるんだ。うわぁ、何だか改めて思ったら感動してきちゃった!」


瞳をキラキラと輝かせながら、ファラは満面の笑みを浮かべてキールの手を取ると、ギュウとその手に力を込めて握った。


「二人の赤ちゃんだもん、きっとすっごく可愛いよ!楽しみだね!!」


嬉しさのあまり少し強めに入った力のままに、ブンブンと上下に手を振って言うと、その笑顔のまま『ねっ!』とリッドを振り返った。


「キールの理屈っぽいとこに似なきゃ良いけどな」

「なんだそれは」


ニヤニヤと笑いながら言うリッドに、キールは若干ツンとして答えたものの、やはり二人の間には何処かふんわりとした優しさが漂っていた。


「これが報告したかった事だ。今度はメルディが安定期に入ったらまた来るよ。アイツも来たがってたし」

「おぃおぃ、嫁さんをアイツなんて言って良いのかよ。メルディが怒るぞ」

「メルディはそんな事で怒ったりしない。…それにリッドやファラの前で、何か恥ずかしいんだよ」


カァッと赤くなって、もういいだろ。と窓の外に視線を外してしまうキールに、照れなくて良いのに、とリッドとファラは目で会話をしてクスリと笑いあったのだった。
そして三人が和やかに生まれてくる命について語り合っていると、突然玄関の前が騒がしくなり、次の瞬間バタリと扉が開けられた。
そこには村中の人々が集まったのではないかというくらいの集団があり、皆一様に笑顔を浮かべてざわざわと色めき立っている。


「な、なになに?一体どうしたの?!」


いかに小さな村とはいえ、けして少なくはない村人達が自分の家の玄関先に集まっているとあっては驚かないわけにはいかない。
ざわめく人の群れに向かい、ファラは思わず声を荒げた。
すると群集の中から一人の男がスッと前に出て、奥に見えるキールに向かってヒラヒラと手を振ってみせた。
その後こっちへ来いよ、とやはり手をヒラヒラと動かして合図すると、そのままそこに無言で立ち尽くしている。


「なんだ…?」

「とりあえず行ってみたら良いんじゃねぇの?」


彼等がキールが出てくるまで動きそうにないのを見て、まぁ行けば分かる、とリッドはキールの背中を勢い良く叩いて押した。
反動でキールは強くむせてしまったが、まぁリッドの言う事も尤もなのでそのまま玄関先へと歩み出てみた。
そのままそろそろと村人達の前まで歩み出ると、一体何なんだと眉を寄せて口を開こうとした、その時



『キール、メルディ、おめでとう!!』



沢山の声が言った後、舞い散る無数の花びら達。
おそらく両手に隠し持っていたのであろうそれは、ピンクや黄色、白や赤など、まるで色のシャワーのようにキールの周りを鮮やかな色彩で埋め尽くす。
ヒラヒラと踊る色の中にあって、キールは言葉さえ無くしてしまったように立ち尽くしていたが、村人の先頭に立つ男が「馬車で聞いてこりゃ皆に知らせてやらなきゃと思ってな」と言ったのを聞くと、みるみる内に瞳を潤ませていった。


「泣くなよキールっ」


今にも雫が零れ落ちそうな彼の瞳に、おそらく花びらの首謀者でもあるのであろう男は心底嬉しそうに笑う。


「泣いてなんかいない」


咄嗟に袖口で顔を隠して、それでも隠しきれない震えた声でキールが言う。
そして真っ赤な瞳で「ありがとう」と言ったのを、村人達と幼なじみ二人は幸せな笑い声をたてて聞いたのだった。


スポンサードリンク


この広告は一定期間更新がない場合に表示されます。
コンテンツの更新が行われると非表示に戻ります。
また、プレミアムユーザーになると常に非表示になります。