セレスティアの夜はとにかく冷える。
インフェリア出身のリッドやファラ、キール達にとってこの寒さはとにかく堪えた。
中でもキールはリッドとファラに比べて大分寒がりであったし(筋肉量の違い、等と言うとファラもキールも怒る)、今まで寒空の下に長時間居る生活などおくって来なかったから、余計にこの寒さには参ってしまっていた。
しかも今は旅の途中だ。
毎日暖かい部屋のベッドの中で夢を見るなんてこと、到底叶わない状況下にいるのである。
そんな日々をもう何日も過ごしている中、キールは慢性的な寝不足に陥っていた。
元々そんなに熟睡するタイプではないのだが、セレスティアに降り立ってからこっち、充分な睡眠をとれた日は数えるほどしかない。
それもこれもこの世界の寒さのせいだ。
昼間でさえ殆ど日が射さないこの世界の夜は、本当にもう氷の世界にそのまま横たわっているかの様で、とてもじゃないが安眠なんて出来たものではない。
しかしそんな中にあって、幼馴染の2人は「もう慣れた」といって最近は完璧な熟睡を得られているようだったし、もう1人は元々この世界の人間だということもあって、この位の気温は寒い内に入らないなどと言ってしっかり毎日熟睡していた。


「・・・・はぁ」


今日も今日とて寒さで眠ることなど叶わず、キールは1人朝早くから焚火を起こし、近くにあった丸太に腰をおろして学問書を開いている。
しかしセレスティアの朝は夜に負けないくらいに気温が低く、そのせいでかじかんだ指では上手く頁をくることすら困難だった。
なので仕方なく焚火に掌をかざしては温め、かざしては温め、を繰り返しているところだ。
そんなに寒いならばテントの中に居てはどうかとも思うが、3人がグーグーと寝ている中で眠れぬ夜を明かしたキールにとって、それは一方的な苛々を募らせる空間に他ならず、結局その中から逃げ出したい気分になるだけなので、こうして寒いと分かっていても外に出てきているほうが幾分か気持ちも体も楽になる、そんな所なのだった。
そもそも狭いテントの中は暖かい筈なのに、どうしてこんなに寒い思いをしているのかというと、それは新しく購入したテントに大きな要因があるのだ。
ファラが旅立ちの際に用意していたテントは、彼女が1人背負って歩ける程度のごくごく小さなものだった。
当然4人が寝るには少し手狭であり、必然的に就寝時にはそれぞれが大分密着した形になってしまう。
インフェリアにいた時分にはそのせいでかなり暑苦しい思いをさせられた。
それと同時に、男女が同じ空間の中に居て尚且つ体を密着させて眠るという行為に大いに戸惑っていたのである。
ただ1人メルディだけはそれに何の抵抗もない様子だったが、自分達インフェリアンにとってはとてつもなく重要なことだ。
年頃の女性と男性が同じ空間の中で体を密着させて寝ているなんて、そんなの不純極まりない。
インフェリア人ならもれなく顔色を変えて非難するだろう。
そんな訳もあって、モンスターを倒して手に入れた収入やら何やらをコツコツと貯めて、それなりのお金が出来たところでテントを新調しようということになったのである。
新しいテントの購入を決めた時にはもう既にセレスティアに渡った後だったが、幸いこちらにも簡易テントを取り扱う店は充分にあったので、その中から1番安価でしかも大きいものを購入しようということになった。
しかし、この選択が間違っていたのだ。
そもそもセレスティアで売っているということは、当然の事であるがこの気候の中で育った人々が造ったものを売っているということだ。
その為インフェリアンが望む程の保温性を持った製品など取り扱っているはずもなく、軽さを重視したものや、いかに簡単に組み立てられるかなど、そういう機能性を重視した製品ばかりが目立っていた。
たまに保温性を目玉にした商品もあったが、インフェリアンの自分から見ると、まだまだこれでは寒さを和らげるには不十分だと言わざるを得ないものばかりだった。
しかも「大きなテント」という希望を告げると、4人しか居ないのに8人用や10人用などのものを引っ張り出され、こともあろうにそれを馬鹿みたいに安くしてくれる何て言うものだから、それを聞いたファラが「大きいから体が密着することもないし、それにこんなに安くしてくれるんだよ?!」なんて言って、すっかりその気になって不必要なほど大きなテントを購入するに至ってしまった訳なのだ。
結果、確かに大きくて広いテント内では就寝時に肌が触れ合うことは無くなったが、代わりに空間が出来たことと保温性が追いつかない事が重なり、今まで以上に寒い思いをする羽目になった。
昼でさえ肌寒いと感じていたキールにはとても耐え難い空間へと変貌を遂げてしまったのである。


「そりゃ男女がくっついて寝るのは誉められた行為じゃないが、だからといって何もあんなに寒いテントにしなくても…」


初めてあのテントで眠ろうとした日の事を思い出し、キールはブツブツと文句を零した。
もう少し保温性を重視したものを…という自分の意見はバッサリと切り捨てられ、結果あんな極寒の空間を作り出すテントを購入したファラと、それを止めなかったリッドに未だに恨み言が消えないらしい。
止めなかったのはメルディも一緒なんじゃ、と思うかもしれないが、この世界で育った彼女にその点の意見は期待していなかった様である。
そんな風にブツブツと未練たらしく文句を零していると、やっと目を覚ましたのかメルディがのそのそと起き出してきた。


「おはようキール。最近早いなー」


ぐぐっと延びをしながらニッコリと笑って言う。


「起きたくて起きている訳じゃないんだけどな」


ふんっと鼻を鳴らして言うと、メルディの後ろから現れたリッドが「ははーん」という顔でキールを眺め


「どうせ寒くて寝られないとかそんな所だろ。キールは寒がりだからな」


そう言ってメルディと同じ様に延びをしてその場に腰を下ろした。
続いて出てきたファラも、今までのやり取りを聞いていたのか「そうだね。キールはまだセレスティアの寒さに慣れてないみたいだし」と言いながら朝食の準備に取り掛かりはじめる。


「バイバ!キール寒くて眠れないか?早く言ってくれれば良かったのに!」


ファラの言葉を聞いたメルディは目を真ん丸にして声を上げると、タタターとキールの傍まで駆け寄って彼の肩に手を置き


「今夜からメルディとキールはくっ付いて寝るよ!そすれば暖かいよー。キールぐっすりな!!」


そう言って満面の笑みを浮かべた。


「な、何を言っているんだお前は!!」


あまりにも驚き過ぎて声が裏返っているのも気にせずに怒鳴ると、大声を出されたメルディは一瞬ピャッと肩を竦めたが、次の瞬間には心底不思議そうな顔をして首を傾げていた。


「どしてかー?くっ付いて寝れば暖かいよ。キールは最近元気なかったな、それきっと寝不足のせい。寒くて眠れないは暖かくすれば良いよ。そすればキール元気になる」

「・・・・・・」


メルディが自分の体調があまり良くない事を把握していた事に驚いたが、しかしそれとこれとは別の問題だ。
男女がくっ付いて寝るなんて、どう考えても有り得ない。


「僕の体調を気遣ってくれるのは有り難いが、だからと言ってメルディとくっ付いて寝る必要はないだろう!り、リッドとか、そう!リッド、くっ付いて寝るならリッドとでも良いじゃないか!」

「げ、俺?!嫌だぜお前とくっ付いて寝るなんて!怖いこと想像させんなよ!!」

「てリッドは言ってるよ」

「いいや、僕はリッドとくっ付いて寝るから良い!!」

「だから嫌だっつってんだろ?!何変な事断言してんだお前は!!!」


もう不毛も不毛、全くもって意味不明の言い争いを繰り広げている3人に、それを眺めていたファラは呆れて溜息をつくことしか出来ないのであった。
そんな不毛な一悶着を終えた後、いつまでもここに居ても仕方がないし…と一行は旅を再開する為に歩き出していた。今はセレスティア内に隠された薬草やらを集めている最中で、風の噂にこの辺りに老兵がいて、何やら役に立つ戦法を教えてくれるらしいと聞いたのでそこを探すことになっている。
しかしこれが中々一筋縄では行かないらしい。
老兵が住まいにして居る場所の情報は手に入れることが出来たものの、周りに目印になるようなものは一切なく、こんな所に老人が住んでいるのかと思うような場所で突然出会うらしいと聞いた。
しかも運の悪いことに、その老兵の居場所も数字で表されたGPS情報と極簡単な地図しか手に入れることが叶わなかったのだ。
自分達はそのGPSを詳しく知る術を持っていないので、必然的に地図とにらめっこしながら地道に探って行くしか方法がない。
だだっ広いセレスティアで、簡単な地図しかない状況の中たった1人の人間を探すのは実に骨の折れる作業である。


「ねぇ、ここ違うんじゃない?この近くってアマンゴが自生してるポイントだって教えてもらった所だよ。ほら、アイメン駅の近くだし」

「そうかぁ?」

「絶対そうだって!ほら、この川渡った向こう側だもん」

「どれどれ…あぁ、ファラの言う通りだ。僕達は今この辺りに居るはずだ、その老兵に会える場所というのは向こう側だろう」

「これだと川渡って行った方が早いなー。でもエアリアルボード使えないよ」

「そうだな。この地図を見る限り、とてもじゃないがここから歩いて辿り着ける距離じゃない」

「あ、ここガレノスがとこの近くだな。だったらアイメン駅から鉄道に乗っていった方が早いよー」


出発してからこっち、ずっとこんな感じで中々先に進むことが出来ないで居るのだ。
しかしここはメルディの言う通り、ガレノスがいるというルイシカへ向かうのが1番確実であろう。
元々この先ガレノスに会いに行くというのは予定の中に入っていたことであったし、この宝探しみたいな寄り道も「手に入れられたら良いよね」という程度の気持ちで始めたものだから、これを再優先事項にする理由はない。
目的を果たしつつ、その道中で手に入れることが出来たのならば儲けたものだ、というくらいのものである。


「んじゃここはルイシカに向けて出発すっか。取り敢えずアイメン駅に向かえばいいんだな」

「でもここからだと結構あるよ。もうかなり歩いて来ちゃったし、今日はもう遅いからここでキャンプにしようよ」

「それもそうだな。準備すっか」

「ワイール!メルディも手伝うよ」

「キャンプって、こんな寒い森の中で?」

「仕方ないでしょ?森から抜けようにもこの森自体が大きいんだもん。出ようとしてる間に夜が明けちゃうよ」

「・・・・・・」

「さぁさ、テント張るの手伝ってよ。ご飯の支度もしなくちゃいけないんだし、早くしないと暗くなって作業しずらくなっちゃう」

「はぁ、また眠れないな」


こうして今日も、キールの眠れない夜が再び訪れようとしていた。

しかし


「メルディー!!何を考えているんだお前はぁ!!!」


夜の森には少年の叫び声が響き渡っていた。


「キール、気持ちは分かるがんな大声出すとモンスターが寄ってくるからやめろよ」

「でも、メルディが!」

「キール寒くて眠れないな。メルディが一緒に寝るよー」

「やーめーろー!!」

「良いから良いから。ハイ、おやすみー」

「良くなーい!!」

「メルディ?!ほんとにキールと寝るつもりなの?!」


夜のテント内だというのにこの騒ぎ、今朝メルディが満面の笑みで「くっ付いて寝る」と言っていたのは冗談ではなかったらしい。
この大騒ぎはそろそろ寝ようとテント内に入り、それぞれが自分の居場所を決めた所で起きた。
眠れないながらも横にはなろうとキールが腰を下ろして溜息を1つついていると、そこにメルディがとてとてとやってきてストンと腰を下ろす。
彼女が何をしているのかいまいち良く分からない3人は、メルディがにこにこと笑って枕の形を整えているのをポカンとして眺めていたが、彼女がキールの隣にコロリと横になるのを見ると、一斉に顔色を変えてそれを止めに入った。


「ね、メルディ、やっぱりこっちで寝なよ。それじゃキール余計に眠れないよ」

「どしてかー?」

「良いから、お前はファラの隣に行け」

「キールはイジワルー」

「ほらメルディ、こっちで寝ようよ」

「良い事思い付いた思ったんだけどな」


しょんぼりとした顔をして、枕を抱き抱えてファラの隣に戻って行くメルディに、キールはホッと胸を撫で下ろして安堵の溜息を着いた。
しかし彼女が見せた寂しそうな横顔が妙に瞳に焼き付いて離れず、胸の内に走る妙な気持ちにこっそりと首を傾げもしていたのだった。
これでやっと静かになったと、それぞれが横になりランプの灯を落とす。
瞬間やってきた暗闇に、キール以外の3人はあっという間に眠りの中へと誘われて行く。
同じように瞼を閉じ、少しでも睡眠をとろうとするキールだったが、今日は森の中という事もあって普段よりも寒さが強く感じられる。
結果、うとうとする時間は得られても、その寒さにより目が覚めてしまうという繰り返しがいつもよりも頻繁になってしまっていた。


「さ、寒い…」


言いながら、身を守るように体を覆っている布を一層強く引き寄せ巻き付けてみたが、それは何の役にも立ってくれそうになかった。
体の芯から冷えてしまい、カタカタと震える指先を擦り合わせて息を吐きかける。
ゴシゴシと擦り合わせている内にほんの少しだが熱を持ってきて、同じように冷え切ってしまっている足も擦り合わせてみた。
そんな事を繰り返している内、やっとうとうとする時間が訪れ、少しでも睡眠をとりたいキールはそれに身を任せて瞳を閉じたのだった。
しかしやはり充分な睡眠を得る前に寒さで目が覚めてしまい、もう何回目かも分からない覚醒が訪れた時、外はもう大分明るくなっていた。
結局普段通りテントから這い出すと、昨晩の燃えかすが残る焚火に火を入れてそこに座り込んだ。
疲れが取れない目頭を強く揉んで顔を上げると、そこにはいつの間に居たのかメルディが心配そうな顔で立っていた。


「おはようなキール。昨日も眠れなかったか?」

「あ、あぁ、あまりな」

「キール倒れちゃうよ」

「そうならないように気をつけているさ。昼間休息が取れるときになるべく眠るようにしている」

「そんなの体に悪いよ。なぁ、やっぱり一緒で寝よ?」

「何度言ったら分かるんだ。男女がそんなにくっ付いて寝るもんじゃない」

「でもぉ」

「駄目だ」

「ならくっ付いてなければ良いか?」

「は?」

「くっ付かなければ良いんだな?」

「な、なにを」

「くっ付いて寝るのはダメ言ったな。ならくっ付かなきゃ良い!」

「本来の目的から逸れているじゃないか!!」


最早キールが暖かく眠れる為ではなく、自分がキールの隣で眠ることに重点が置かれてしまっている彼女の発言に、キールは今まで以上にうろたえ、声を張り上げた。


「メルディ体温高いから傍にいるだけで暖かいよー。クィッキーもいるからポッカポカな!!」

「そういう問題じゃなくて」

「なぁなぁキール、そうしよ」

「だ、だから」

「なぁキールー!!」

「うわぁ!!」


ガバッと覆いかぶさる勢いで迫ってくるメルディに、キールは顔を真っ赤にしてのけ反った。
しかしそれを追い掛ける様にしてメルディが迫って来るものだから、もうキールとメルディの顔はほんの数センチという単位でしか開いていない。
このまま彼女を放っておけば、あと数秒もしない内に自分とメルディの距離は零にでもなってしまうんじゃないか…
思わずキールはそんな風に思ってしまった。


「分かった!!分かったから!!どいてくれ!!!」

「ほんとか?!」

「あ」


彼女にどいてもらおうという一心で叫んだ言葉だったが、結局それがメルディの言い分を聞き入れる形になってしまっていることに、キールは今更ながらに気づいてうろたえた。
違う、違うんだとメルディに詰め寄るも、結局「キールから了承を得た!!」と飛んで喜んでいる彼女の耳にはついに届くことは無かった。
外の騒ぎを聞き付けて出てきたファラとリッドも、全てを見ていた訳ではないが、2人の様子を見てそれを察したのか、かける言葉を探して目を泳がせているばかりだった。
こうして「毎夜キールの隣で眠るメルディの図」が完成された訳なのだが、この話にはまだ続きがある。
毎夜メルディが自分の隣で眠ることをうっかり許してしまったキールであるが、やはりそれは彼にとってとてつもない羞恥を伴うものだった。
結果、毎晩毎晩未だに怒鳴ったり引っぺがしたり、不必要に傍についてくるメルディを相手に四苦八苦していた。
いくらセレスティアが男女間系におおらかとは言え、メルディのそれは少し行き過ぎていると思う。
というか、まるで子供が親や兄弟と一緒に寝たがるような感覚で居るような気がするのだ。
自分が既にもう妙齢の女性であるということを全く理解していないようにも見えた。
堪らないのはキールの方で、いくらメルディが実年齢よりも遥かに幼く見えていても、それなりに女性らしい柔らかな曲線を描いている事を分かっている彼は、とても平常心でいることなど出来はしなかった。
最近芽生えた仄かな淡い想いに気付き始めている彼だから、尚更この状態は一刻も早くなんとかしなければならない事態でもあったのである。
しかしあの時「分かった」と言ってしまった手前、今更メルディに「あっちへ行け」とも言えない。
そんな事を言ったらメルディがどんな反応を示すか。
怒るのか泣き出すのか、「キールの嘘吐き」なんて言われて暫く近寄ってももらえ無くなったら…最悪だ。
そんなこと考えただけで恐ろしい。


「ヘタレだ…」


自分でも情けないことを考えていると分かっているが、こればっかりはもうどうしようも無い感情なので仕方ない。
今までが今までだっただけに、これ以上メルディに嫌われるような言動はしたくないのだ。
やっとここまで培ってきた関係が、今更壊れでもしたらたまったもんじゃない。
日頃、頻繁に行われる言い争いで言われる「キール嫌い!」の一言にも内心深く傷つき結構落ち込んでいるのに、それに加えて近寄ってももらえないなんて、そんなの考えただけで更に凹んで暫くは立ち直れそうにない。
とはいえ今日も既にキャンプ地点に到着してしまっている。
夕飯は終えたし、後数時間もすればあの拷問のような時間が始まるのだ。
最近はメルディが隣に居るので寒さは凌げるようになり、それが原因の寝不足は解消されたが、代わりに彼女の寝顔が隣にあるという理由で寝不足になっている。
結果相変わらず寝不足であるキールは「寒いだけが理由で眠れない方が幾らかはマシだ」なんて考えるようになっていた。


「そろそろ寝るか」


うんうんと唸っていたキールの後ろで、ファラとメルディが片付けを終えて帰ってきたのを確認したリッドが言って立ち上がった。
その一言にビクリと肩を震わせて、キールも深く溜息をついて立ち上がる。
そんなキールの姿を見て、ファラは一瞬困ったような顔をすると、メルディの肩をポンポンと叩いて何事かをボソボソと囁いてから先にテントの中へと入って行った。
囁かれた本人であるメルディは「そかー」と言って数回頷くと、キールに向かい心配そうな笑みを零すとサッと中へ入って行った。


「なんだ?」

「さぁなぁ」


彼女が自分に向かい笑んだ意味が分からず、リッドが気の抜けた返事を返しながらテントへ入って行くのを見届けてから自分もその中へと足を踏み入れた。


「あれ・・・」


そこで目に入ったものはいつもと同じ、枕の形を整えるメルディの姿だったのだが、その位置がいつもと違う。
普段通りなら、左からファラ、そこから離れた所にリッド、その横にキール、そしてその隣にメルディという位置関係になるのでメルディが1番右端になるのだが、今日はファラが腰を下ろしているその左隣りで枕をポスポスと叩いていた。


「メルディ今日はここで寝るよ。おやすみな、キール」


そう言ってクィッキーを両手で抱きしめると、コロリと横になって肌掛けを肩上まで引っ張りクルリとくるまってしまった。


「灯かり消すぞ。早くしろよ」


ポカンとその様子を眺めていたキールだったが、リッドの声がそう言ったのを聞くとハッと我に返り何時もの自分の場所へ腰を下ろした。
横になるのに邪魔なので髪をといて、なんだかもやもやしたまま枕に頭を付ける。
それを確認したリッドが灯かりを落とし、ほどなく闇と静寂が訪れると、隣からは間もなく寝息が聞こえてきた。
それを感じながら、キールはいつも「どれだけ寝付きがいいんだ」と呆れてしまうのだが、今夜はそれに加えて胸に妙なしこりが残っているようで何とも気分が
悪い。
隣から聞こえてくる寝息の中に少女2人のものを確認すると、益々それは強くなり、しまいには訳の分からない怒りみたいなものになってキールの胸に押し寄せてくる。


(僕の隣で寝るんじゃなかったのか)


瞬間脳裏を走ったそんな思いに、キールは愕然として顔を押さえた。


(な、何を考えているんだ僕は…)


あれほどメルディが自分の隣で眠ることに戸惑いを覚え、少しでも離れてくれないかと悩んでいたのに。
望み通り彼女が離れて眠ってくれたことに対して腹を立てるなんて、どうかしている。


(そうだ。本来あるべき姿に戻ったんだ。非常に喜ばしいことじゃないか)


そう自分に言い聞かせ、彼も知らない内に引き攣っている顔を隠すように無理矢理瞳を閉じた。
いつもなら感じるメルディの体温がないことで、今までよりも寒さがキツく感じたが、ほどなく浅い眠りがキールを襲い、そして彼はゆっくりと意識を手放していった。


(なんだ?暖かい…それに、何だか甘い香りが…)


翌日、朝日が昇り切らない内に目が覚めたキールは、何だか心地良い違和感を感じてうっすらと目を開けた。
しかしまだ覚醒しきっていない頭は、今が一体どういう状況なのかまでは把握してくれないようだ。
ただ確かに感じるのは、妙に心地良い温かさと、安心感のある甘い香りだった。
一体どうして…と顔を僅かに動かすと、目の前に良く知っているピンクパープルの髪の毛が見えた。
彼女はこちらを向いて小さく丸まるような体勢でいるのか、キールからはその表情を確かめる事は出来ない。


(なんだ、メルディか…)


胸元辺りに感じる優しい温もりを、キールはより確かに手入れようと体を動かして腕にしまい込む。
先ほどよりも近くなった柔らかな重みに、彼は自分でも気づかず優しい笑みを零した。
抱き締め直した拍子に彼女の表情が見て取れるようになった事もあり、未だぼやけた視界のままにメルディの寝顔をそっと覗き込んだ。
寝息を立てるメルディは薄く笑みを零して、何とも幸せな夢を見ているようだった。
そして小さく身じろぎをした後、抱きしめられたことで感じる誰かの優しい体温を探して小さく指を伸ばす、その指が自分の服の胸元をしっかり掴んだのを見て、キールは愛しいものを見つけたというように、いっそう抱き締める腕に力を込めた。
そして、再び眠りの世界へと落ちて行ったのだった。


「おい、キール起きろよ。いつまでメルディの事抱き枕にしてるつもりだ?」

「ん、はぁ?何言って・・・」


翌朝珍しくリッドの声で目が覚めたキールは、彼の言葉に反論しようと上半身を動かした。しかし、何故か自分以外の重さがあって上手く起き上がる事ができない。
一体なんだと重みを感じる腕に視線を移すと。そこにはしっかり自分が抱きしめている形でメルディの姿があった。


「?!?!?!?!?!」


訳が分からず言葉にならない悲鳴を上げるていると、腕の中で寝息を立てていたメルディがコシコシと瞼を擦って目を覚まし、上半身だけを起こして、いまだ寝転がったままの体勢でいるキールを見下ろすような形で「おはよう」と、それはそれは魅力的な笑顔で挨拶し「顔洗ってくるよー」と寝ぼけた声で言いながらテントの外へと出ていった。


「良く眠れたようで、キールさん」


取り敢えずそれを見届けてから、改めてキールに向かってリッドが言うと、そこには顔をこれでもかというくらい真っ赤に染めたキールの姿があった。
硬直してしまって動けないのか、指先まで赤く染めてその場で寝転んだまま動け無くなっている。


「キール起きた?良く寝てたね。あんまり気持ちよさそうに寝てて起こすの可哀相だったから声かけなかったんだ。それにしても、最近キールが寝不足なのはメルディが隣にいるからなんだろうって思ってたんだけど、なんか違ったみたいだね」

「?!」

「お前のここ最近の寝不足の原因が寒さじゃないことくらい見てれば分かるんだよ。だから昨日ファラがメルディに離れて寝るように言ったんだとさ」

「キールが風邪気味みたいだから、今日はメルディはこっちで寝ようねって言ったんだ。移ると大変だからって」

「俺は体力馬鹿だから大丈夫なんておまけつけてな。でも起きてみたら結局メルディはキールの隣に居るし、しかもお前はメルディのこと抱きまくらみたいにしてて離そうとしねぇし。ったく、お熱いことだぜ」

「こ、これは…」

「あ、メルディおはよう。もう、昨日キールの風邪が移ると大変だからこっちで寝ようねって言ったのに」

「おはようなファラー。んー、メルディが夜中トイレ行きたくて起きたらキール寒そうに震えてたよ。それでメルディ、キールあっためてあげよう思って隣に潜り込んじゃったんだな」

「女の子が男の子の布団に潜り込んだりしたらダメじゃない」

「そうだぜ、しかもあんなに引っ付いて」

「バイバ!メルディそんなに引っ付いてないよぅ。キールはくっ付いて寝るのはダメー言ったから、隣に寝転んだだけ」

「ほんとかぁ?」

「うー、少し寝ぼけてたから絶対は言えないけど、でも」

「じゃあキールがメルディの事抱き寄せちゃったの?!」

「い、いや、違っ…」

「まぁ確かにキールの腕がしっかりメルディを捕まえてたしなぁ」


(夢じゃなかったのか…!!)


確かに夜明け近く、そんな心地良い夢を見た気がした。
暖かさで目が覚めて、そこにメルディの姿があったから、彼女を抱き寄せて幸福を噛み締める夢を。
しかし、あれが現実だったとするなら・・・。


「うわぁぁぁああああ!!」

「うおっ?!」

「バイバ!!」

「きゃっ!!」


自分が仕出かしたことに耐え切れなくなり、キールは壊れてしまったと思わせるほどの叫び声を上げてテントから飛び出して行ってしまった。


「ありゃ、ちょっとからかい過ぎたか」

「でもほんとの事だしねぇ」

「メルディ、キールがこと追い掛けてくるよ」

「え?あぁ、うん!メルディが行くのが1番良いよね」

「おいおい、放っておいてやんねぇのかよ」


キャラキャラと笑ってメルディを見送っているファラにリッドが少し呆れ気味に言うと、ファラは何で?という表情をして


「良いの良いの!」


と満面の笑みを浮かべて言ったのだった。
所変わってこちらはキールとメルディの2人。
テントから少しばかり離れた場所で、メルディがキールのマントの裾を捕まえて座り込んでいる。
キールの顔は真っ赤に染まっていて、隣で一緒になって座り込んでいるメルディの顔を見ない様にして俯いていた。
そんな彼の様子に、メルディは少しばかり不満そうな表情だ。


「もー、なんでキール逃げるか」

「逃げたいに決まってるだろ。あんなことして僕は…」

「あんなことって?」

「なっ?!それを言わせるのか!!」

「あぁ、キールがメルディがことギュってしてくれた事か」

「言うなぁ!!!」


一層真っ赤になって半泣き状態になっているキールだったが、何故かメルディがやけに嬉しそうにしているのを見ると、怪訝な顔をして少しだけ彼女の方に顔を向けた。


「何でそんなに嬉しそうな顔をしてるんだお前は」

「はいな?メルディ嬉しそうな顔してるか?ありゃー、やはり顔に出たな。メルディ、嬉しいことあると全部顔に出るってガレノスにも言われてたよ」

「…何がそんなに嬉しいんだよ」

「だってなー?キール、メルディがことずっとギュッてしててくれたよ。それすっごく嬉しい!それにホントはな、メルディ1回目が覚めた、その時に元の場所に戻ることも出来たのに、でもなんかあったかくて幸せで出来なかったよー」


心から嬉しそうに笑うメルディを見て、キールは何とも言えない気持ちになってしまう。
そんな風に言われると、妙な期待をしてしまいたくなる。
彼女が自分の傍に居ることを望み、それを幸せだと思ってくれていると。そして、それは自分が抱く気持ちと同じもので感じてくれていると。


「なぁなぁキール、これからもメルディ、キールの隣で寝たいよ。ダメか?」

「・・・・・・・」

「なぁなぁキールぅ」

「す、好きにしろっ!!」

「ワイール!!それって良いってことだな!!」


今にも抱き着いてきそうなほどに喜んでいるメルディを見て、キールは小さく困ったような笑みを零し、そして誰にも見られないように優しい色で頬を染めて俯いたのだった。
暫くしてから、さぁ帰ろうと2人並んでテントまで帰り「ごめんからかい過ぎた」と謝る幼馴染2人と一緒に朝食を摂った。
その間も、そしてその後も、メルディとキールはいつも2人並んで行動するようになる。


「なぁ見ろよ。まーたこれだ」

「ほんとだ。キールって毎晩これだもんねぇ」

「メルディも大変だなー。コイツ絶対独占欲強いぜ」

「毎晩メルディのこと抱き寄せちゃうくらいだもんね。でも、メルディもなんだかんだ言って幸せそうだし、良いんじゃない?」

「まーな。まぁしかしお熱いこった」

「見てるこっちが照れちゃうよね。離そうとしてもお互いがお互いをしっかり掴んでて離さないし」

「見てらんねぇぜ」


こんな会話をされていることも知らず、2人は静かに寝息を立てる。
始めてメルディを抱き寄せて眠ったあの日から、キールは無意識に隣で眠っている彼女を胸の中に閉じ込めるようになってしまった。
そればかりか


「ん…朝か。今日も僕が1番早いんだな」


朝日が昇る頃に目が覚めて、最初に確認するのはメルディの存在になっている。
己の腕の中で幸せそうに寝息を立てる彼女を見ると、胸の中がジンと熱くなって涙が出そうになる。
そうして朝日が昇り切るまで彼女の寝顔を眺めていると、今度はメルディがうっすらと目を開けて、キールの存在を確かめるように服の胸元をキュウっと掴んで微笑み、まだ覚醒しきっていない小さな小さな声で


「キール」


と名前を呼んでくれるのだ。
その声を聞いたキールは、より強くメルディの体を抱きしめる。それはほんの一瞬の事で、抱きしめられているメルディにも分かるかどうかくらいの強い抱擁。
それでもキールには、この刹那の抱擁が何よりも大事な瞬間だった。
メルディを胸の中に閉じ込めて、その体温や甘い香りに包まれるほんの僅かな時。
眠れなかったあの日が嘘のように消えて、今は深く幸せな世界へと行ける。


これは、寝床から起き出す前の、2人だけの秘め事だ。


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