「ちょっとは気を使ってやってくれ!!具合が悪そうなんだ!!」

何故自分があんな事を言ったのか、怒鳴るように言っておきながら何だがキールは自分自身で戸惑いを覚えていた。
でも、何時もより青い顔をして怠そうに歩くメルディを見ていられなかったのだ。
明らかにふら付いた足取りをしてしんどそうに息をしているくせに、それを悟られまいと何時も以上に明るく笑っている彼女をあれ以上見ていられなかった。
そんな分かりやすい変化に何故か幼馴染2人は気付く様子もなく、それまで内心ハラハラしながらメルディの様子を見ていたキールだったが、もう限界だととうとうあの時大声を上げてしまったのだ。


「あれ?キールこんな所に居たんだ。珍しいね」


今日はもう休もうと張ったテントから出てきたファラは、何時もなら少し離れた場所にいるはずのキールがテントのすぐ近くに居る事に驚きを隠せない様子だった。
それもそうだろう。何時もの彼なら本や資料を広げるのを邪魔されては敵わないという思いから、料理やら明日の準備やらをしているその周りでワイワイと騒ぐリッドやメルディを避けるようにして少し離れた場所に居るのが常だったのだから。
しかし、今晩だけはそうも言っていられなかったのだ。
何故ならそれは


「でもほんと、良くメルディの具合が悪いことに気が付いたね。キャンプにしようって言った途端座り込んで動けなくなっちゃうんだもん、相当我慢してたんだね。早く気付いてあげれば良かった」

「いや、その・・・」


そうなのだ、キールが声を張り上げた後、ハッとしたファラがメルディの異変に気付いてすぐにキャンプをすることを提案した。
それを聞いた途端、張り詰めていた糸が切れたかのように、メルディはその場に座り込んで一歩も動けない状態になってしまったのである。
ファラとリッドは慌ててテントを設置し、そこにメルディを運び込み寝かして、今こうしてテントの外へと出てきた所だったのだ。


「分かってる、メルディの事が心配なんだよね。大丈夫だよ、熱はあるけどそんなに高くないし、食欲はあまり無いみたいだけど、何も欲しくないって状態じゃないみたいだから。少し疲れてるんじゃないかな。ゆっくり寝ていれば回復するよ」

「そ、そうか」


ファラの言葉に小さく溜息を吐いて頷くと、ファラに続いてテントから出てきたリッドが呆れたような顔をした。


「で、そんなに心配してるくせにメルディのこと看てやんねぇのかよ、キールさんは」


自分達2人が全く気付かなかったメルディの様子にいち早く気付いて、普段の彼なら絶対に言わないであろう言葉まで言ったくせに、リッドがメルディをテントに運び込む時も、ファラが介抱している時も、キールは何故か彼女の様子を伺いにくる事はなかったのだ。


「煩い!良いだろ別に」

「あーはいはい。分かったよ」

「2人ともここで大声出さないでよ、メルディが寝てるんだから。取り敢えずご飯の支度手伝って、キールもそんな風に言ってないで後でメルディの様子見てあげなよ。そんなとこで心配してるなら顔見た方が安心するでしょ」

「ぼ、僕は別にっ」

「大声出さないの」


ズルズルと男2人を引きずって焚火の準備を言い付けると、ファラはさっさと夕飯の支度に取り掛かってしまったのだった。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇



間もなく夕飯が出来上がると、ファラはメルディの分を手にテントの中へと消えていった。
それを横目で見遣りながら、キールはそわそわと落ち着かない自分を何とか落ち着かせようと手にした本に眼を落とす。
しかしどうしてもテントの中の様子が気になって、一向に本の内容は頭に入ってはこなかった。


「そんなに気になるなら見てくりゃ良いじゃねぇか」


心底呆れた口調でリッドが言ったのが聞こえたが、キールはそれを聞こえない振りをした。


「ったく。なんでそんなに素直じゃないかな」


再び聞こえたリッドの声に、キールは何だか無償にやり切れない気分になってしまった。
自分だって素直になりたい。でもメルディが関わる事柄にだけどうしても素直になれない。
でも、それがどうしてなのか分からない。
彼女を見ていると自分はおかしくなる。ハラハラして、ドキドキして、気になってつい視線が彼女を追い掛けてしまう。
メルディが笑っていると安心して、少しでも元気のない顔をしていると心がモヤモヤする。
自分の傍で楽しそうに、嬉しそうにしているとくすぐったくて、でも自分以外の誰かの傍で笑っているのを見るとチクチクと胸が痛くなる。
いつからこんなにメルディの事ばかりが気になりだしたのか、もう自分でも良く分からない。
でも、気が付くと何時でも彼女の事を考え、視線で追っている。
そんな自分が何だか恥ずかしくて、どうしたら良いのか分からないのだ。
メルディが傍にいるのは嬉しい。でも同時に、いつもの冷静な自分でいられない事に戸惑い、不満も覚える。
だから容易には近付けない。
それなのに、自分以外の誰かが彼女の傍にいるのは


「不快だ」

「は?」


思っていたことが不意に口をついて出てしまい、それを聞いてしまったリッドは「急になんだよ」という表情をするばかりだった。


「…何でもない」


考えていた傍からこれだ。
こんなんだからメルディの傍にいって、自分が不用意に何か余計な事を仕出かさないとも言い切れず、それが怖くて彼女の近くにいる事が出来ないのだ。


(どうしてなんだ)


世の中のありとあらゆる知識を手に入れた少年は、どうやら自分の抱く想いに関する知識だけは著しく欠如しているようだった。


「よいしょっと」


そんな結局不毛としかならなかった考えを巡らせていると、テントからファラが出てきて2人の間に流れる変な空気に首を傾げた。
それを払うように、リッドが「メルディの様子は?」と尋ねると、「うん」と頷きながら答えた。


「少しだけどご飯も食べられたし、明日には大分回復してるんじゃないかな。眠たそうにしてたから、すぐ寝ちゃうと思うよ」


そこまで言って、本に集中しているようでその実しっかり自分の言葉に耳を澄ましている様子のキールの方へ向き直ると


「キールはお勉強が忙しいの?って言ってたよ」


そういって困ったように笑った。


「え?」


彼女の言わんとする事が良く分からなくて、キールは手にしていた本を閉じると膝の上に置いた。
多分それは無意識だったのだろう。キールがそんな事をするなんてとても珍しかったので、それを見ていたリッドは内心相当驚いていた。


「キールが姿を見せないから寂しがってるんじゃないかな。そう言ったわけじゃないけど、具合悪い時って無性に寂しくなったりするじゃない?リッドと私はさっきまで一緒に居たけど、キールはまだ顔見に行ってあげてないでしょ?だから少し寂しくなっちゃったんだよ」


言った後「さぁ、私達もご飯にしよ!」と笑顔で腕まくりをして支度に取り掛かる。
そんなファラの後ろ姿をボーッと眺めるキールは、膝に置かれた本の存在を忘れてしまったようだった。
こりゃ珍しいものを見た、とリッドは呆れるやら可笑しいやら、幼馴染の変化に笑いを堪えるのに精一杯だった。
その後ファラが運んできてくれた食事を摂ると、その後はそれぞれ好きなように時間を過ごす。
リッドは剣の手入れをし、ファラは食事の後片付けを済ませると再びメルディの様子を見にテントの中へ、そしてキールは一度は閉じられた本を再び開いて近くの木に寄り掛かっている。
しかしやはりその視線は本には向けられておらず、ファラとメルディがいるテントの方へと向けられていた。
そんなキールの様子に、リッドは仕方ねぇな、という表情を隠しきれない。
ファラがテントから出てきた所を捕まえて、何事かをヒソヒソと囁くと手入れしたばかりの剣を片手に歩き出した。


「キール、私達ちょっと出かけてくるね。明日のご飯を調達しがてら、メルディに薬草でも採ってくるよ。メルディ今寝てるから、よろしくね」


そう言ってリッドの後を追い掛けてパタパタと駆けていく。


「お、おい。何もこんな時間に行かなくても」

「丁度修行になるし、朝になってからだと間に合わないでしょ。じゃあ行ってきます!」


それだけ言うと、さっさと森の中へと消えて行ってしまった。
一体何を考えているのかさっぱり分からない…と少々不満を覚えたが、今までも良くこんな事はあったので、そんな思いもすぐに消えてなくなった。
幼馴染2人が出かけたことで辺りはシンと静まり返り、焚火が爆ぜる音がやけに大きく聞こえる。
テントの中からは何の音もせず、灯かりが消えたそこは何となく寂しそうな雰囲気に包まれているように見えた。
そういえば、食事の後こんなに静なのは随分と久しぶりだ。
何時もなら本を開いた自分の周りを、メルディがクィッキーと共にウロチョロと歩き回り、それに飽きると「勉強教えてな!」と纏わり付いて離れないのだ。
自分もセレスティアについての知識を深めたいという思いもあり、お互いに持っている知識を交換し合うその時間は、少々煩いながらもとても貴重なものだった。
アイメンにたどり着いた直後、彼女を朝まで付き合わせてしまったのもあってそれなりに自嘲しているつもりだが、それでも深夜遅くファラに「いい加減にしなさい」と怒られるまで、好奇心の赴くまま彼女と本にかじりついている。
それが最近の常だったものだから、こんなに静かな夜は何だか少し物足りず、そればかりか寂しさまで感じてしまっている自分がいた。


「寂しい?そんな馬鹿な」


ハタと何を考えているのかと首を振るが、一旦辿り着いてしまったその感情から上手く逃げることは到底敵わないようだった。
あの明るく素直な笑顔や笑い声が聞きたいと、彼女に比べると随分素直ではない自分の心が叫んでいるように感じてしまう。
しかし目の前の灯かりの消えたテントの中に居るメルディは、ファラの話だと既に眠ってしまっているはずだ。
どうやら渇望の域にまで達してしまったその思いも満たされる事はないだろう。
しかし、今の自分にとってはその方がいいのかもしれない。
彼女が目覚めていたとしても、きっと自分は優しい言葉などかけてやれはしないだろう。
照れや恥ずかしさや、何時もの自分でいられないもどかしさが邪魔をして、きっと彼女に心にもない言葉を投げてしまうに決まっている。
それなら、眠っているメルディの顔を静に見ている方がきっと良いのだ。


「・・・・・・」


しかしそう思い込もうとする意思に反して、キールの頭と心の中から一度芽生えたその想いが消えてくれることはなかった。
何故こんなにもメルディの事が気にかかるのか、こんなにも彼女の笑顔や声を欲しているのか、キールには未知過ぎて未だに納得する答えは得られない。
本当は、心の変化に好奇心の赴くまま向き合ったならば、否、素直に向き合おうとするならば、彼は既に答えを持っている事を知った筈なのだが。



カサッ



結局、顔が見たい、いやダメだの堂々巡りだけが繰り返されることに嫌気がさして静かに立ち上がることにした。
極力音を立てないよう細心の注意を払いながらテントの中へと足を踏み入れると、そこには僅かに苦しそうな寝顔をしているメルディの姿があった。
傍ではクィッキーが心配そうに彼女の顔を覗き込んでいる。


「クィッキー、少しごめんな」


そう言って小さな動物を抱き上げ、メルディの額に乗せられている濡れた布の温度を確かめた。
それは既に冷たさを失い、彼女の熱で温められて随分と温くなっている。
きっと彼女のこの苦しそうな寝顔も、この布が与える不快感からだろう。
そう思い、傍に置いてあった水の張った器で布を改めて濡らしメルディの額に乗せてやる。
すると彼女は僅かに眉を潜めたあと、ふっと気を抜いたいつもの寝顔に戻った。
汗で額に張り付いた髪を指でそっと流してやり、抱いていたクィッキーを降ろすと、自分も彼女の傍らに腰を下ろして再びメルディの様子を伺う。
先程まで見られた苦しそうな表情は無かったが、それでも彼女から感じられる熱はまだ少し高いように思えた。
不躾に女性の寝顔を眺めているわけにもいかず、手にしたままだった本を開こうかと一瞬思ったが、何だか気が乗らないので止めておく。
することもなくクィッキーを撫で付けていたキールだが、結局不躾だと思いながらもメルディの寝顔を見詰めてしまう自分がいる事に気がつかないわけにもいかなかった。
ハッとしてメルディから視線を外すも、気付くと彼女を見詰めている。
そんな事を幾度か繰り返して、キールは大きく溜息を吐いた。
静かな空気の中、メルディの寝息だけが随分と頭に響くような気がした。


「う・・・」


小さな呻き声と共にゴソと布が擦れる音がして、キールが我にかえりメルディに視線を移すと、薄らと瞳を開けた彼女と視線がぶつかった。
瞬間メルディの瞳が三日月の形に歪められ、呼吸の合間に「キール」と小さく呼んだのが聞こえた。
咄嗟に視線を逸らすも、彼女の唇が確かに自分の名前を呼んだのを見てしまったキールは、耳まで真っ赤になって戸惑いを隠すことも出来ない。
クイと引っ張られた感覚に恐る恐るメルディの方へ向き直ると、そこにはキールのマントの裾を捕まえているメルディの小さな手があった。


「お、起きたのか」


動揺もあらわにそれだけをやっと言葉にすると、問われたメルディはまだ夢現の状態でキールのマントをクイクイと引っ張っている。
どうやら何か言いたげにしているようだと察したキールは、遠慮がちにメルディに近付くと、羞恥で真っ赤に染まった耳を彼女の唇近くに寄せた。


「キール来てくれた。メルディ、とてもスゴク嬉しいよ。キールいないとメルディ寂しい…早く元気になるから、もう少しだけここに居て」


そう言って、メルディは再び眠りに落ちていってしまった。



ガバッ!!



あまりのことに居た堪れなくなり、キールはそこから逃げ出そうと足に力を込めた。
しかし情けない事に彼の足腰は完全に力を失ってしまっていて、駆け出す事も、ましてや立ち上がる事すら出来なかったのである。
もうこれ以上はないというくらい真っ赤に染まった顔を両手で覆い隠し、勘弁してくれと俯いたキールには、今や1つの想いしか残っていなかった。


(何でこんなに可愛いんだよ・・・)


心の奥からフツフツと沸き上がってくる今まで以上の感情に、キールはその場でパッタリと倒れそうになってしまう。
身悶えするほどに恥ずかしくて、でも泣きたくなるほど嬉しくて


「そうか、僕は・・・」


言ったきり両手で覆った顔を上げることも出来ず、キールはそのまま暫く、メルディの傍らで真っ赤な顔を落ち着かせようと呼吸を繰り返すのであった。
そう、やっと彼が自らが求めた答えにたどり着き、メルディに対する想いを自覚した瞬間だった。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ 



「ただいまー!!」


大量の食料と、これまた大量の薬草を片手に戻ってきたファラは、焚火の傍で本を片手に座り込んでいるキールの姿を見つけると、思わず溜息を付いた。


「私達がいると素直になれないからってリッドが言うから出掛けて来たのに、結局ずっとあのままだったのかな?」


同じように大量に手にしていた食料を下ろしながら、リッドはキールの様子を眺めていたが、その後ニヤリと笑って首を振った。


「いいや、そうでもなさそうだぜ」

「え?」

「ほれ、見てみろよキールのあの顔」


そう言って指差した先には、出掛ける前と同じようにテントを見詰めるキールの姿があった。
しかし、出掛ける前とは明らかに違っていたのだ。その瞳に写る色が、優しさが。
少しの羞恥と、それを上回る恋しさと、今までにない熱と、それさえ包む優しさ。
そんな熱っぽくて優しい瞳をしていた。


「あ!」

「な?」

「うんうん!そうだね、全然違う!!」


2人で幼馴染に訪れた変化に頷きながら、キールの瞳に写るそれを心底嬉しいと思った。


「ただいまキール。メルディが良くなったら、また旅の始まりだよ!!」

「ああ。そうだな」


そう、これは始まりだ。
今までの自分と、これからの自分の、新たな初まりが今日ここから始まるのだ。
そう思い、キールは静かに本を閉じた。



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