※少し濃い目のキスがあります。苦手な方は閲覧をお控えください。


抱きしめたら折れそうだとか、捕まえていないと消えてしまいそうだとか、そんなの三流恋愛小説の中だけの表現だと思っていた。
でもこうして眼の前に現実としてあるのは、どこまでも儚く細い、抱きしめたら折れてしまいそうな真実だけだった。

同じ空の下、同じ場所で眠りにつくのは今日が最後かもしれない、そう思うと瞳を閉じることさえも戸惑われて眠れなかった。
オルバース界面の薄く穏やかな光に照らされて、辺りは驚くほどにやんわりとした、どこか平和的な明るさに包まれている。
眼の前にシゼル城が聳え立っているというのに、それに反した静かで穏やかな光に照らされるこの場所は何だか滑稽に見えた。
寝付くことが出来ずにもう何回目なのかも分からない寝返りを打つと、隣で浅い寝息をたてるキールをチラリと見遣る。
部屋に戻って来た時こそ感情の高ぶりからか寝付けずにいた様だったが、精神的な疲れやらが溜まっているらしく程なく本を開いたまま寝息を立て始めたのだった。
キールを起こさないように細心の注意を払いながらベッドを降りると、甲板へと歩き出す。
ファラとメルディは既に眠っているだろうか?通り過ぎたドアにそんな事を思う。
程なく甲板に辿り着くと、そこはやはり滑稽に思えるほどに優しい光に包まれた界面が広がっていた。
ただ、少し遠くを見つめるようにすればそこには強大な力を蓄えた城が建っており、唯一それだけが彼等がここに居る理由を示す現実に見えた。
しかしその城さえも、花に模したピンクパープルが界面に溶け込み、一見すれば優しく穏やかな界面と同じように自分達を包み込んでくれるように思えてしまう。
それでもメルディの髪の色にも似たその城を見ると、そこにはシゼルが待ち構えているのだという事を思い出させる。
彼女の母親と戦わなくてはならないのだという現実を、脳に嫌というほど叩き付けられた気分になるのだ。


――メルディとキールは一体どんな話をしたのだろう?


ふとリングを見つめながら思った。
彼女のことを大事にしている彼の事だ、何時もはそっけない態度でごまかしているが今夜は違っただろう。
もしかしたら普段は絶対に言わない事をメルディに伝えたかもしれない。


「 ・ ・ ・ ・ ・ ・ 」


そう思うと、なんだか無性に彼女に会いたくなってきた。
キールと何を話したのかなんて聞くつもりは無いが、それでも彼女の脳裏に決戦前夜に話したのは自分だと刻み付けてしまいたいと思ったのだ。
我ながらなんて子供じみた思いなんだと思うものの、それでも彼女に残る全ての記憶を自分にしてしまいたいという思いはどこまでも尽きることは無い。
彼女と出会って自分は変わった。
リッドは心底そう思った。


――カタッ


「!!」


背後からした軽い音に驚いて振り返る。
甲板の入口からしたその音に目を凝らしていると、そこから現れたのはメルディだった。


「メルディ」

「リッド!こんな時間になにしてるか?」


それはこっちの台詞だと思いながら、入口で止まったままになっている彼女にここへ来いと促した。


「もう寝てると思ってたよ」

「こんな時間に甲板に出てくるなんてどうしたんだよ」


彼女が明日の戦いを思い不安や戸惑いで眠れないのだろうという事は容易に想像できたが、敢えてそれは口にしなかった。


「んー、ちょっと眠れなくてな」

「そっか。実は俺も」

「リッドもかぁ。キールは?ぐっすりか?」


甲板の上から界面をぐるりと見渡しながらメルディが言った。


「あぁ、部屋帰ってきた時は眠れ無さそうにしてたけどな。暫くしたら本開いたまんま寝ちまったぜ」


その様子を真似しながら言うと、メルディはクスクスと声を漏らした。
きっと彼女にもその姿がありありと浮かべる事が出来たのだろう。
しかしその瞬間に、もの凄い勢いで焦燥感が走った。
同時に思い出す彼女と彼だけの時間。
それでもここでそんな事言うべきでは無いと必死に自分の気持ちを押さえて落ち着ける。


「キールは優しいからな」

「あ?」


不意に出たメルディの言葉に、自分のこの焦りや苛立ちを悟られてしまったのかと一瞬息を詰めた。


「さっきな、キールとセイファートリング見ながらお話した時、キール凄く変だったよ。何時も怒りんぼなのに優しかったから。でもメルディ分かってる、キールは何時も優しい。怒るはメルディが事心配してくれてるから、それは皆一緒。リッドもファラも、とっても優しくてあったか」

「・・・・・・・」


メルディが話すのを聞きながら、セイファートリング越しに見えるシゼル城を穴があくほど見つめていた。


「メルディは本当が事話さなかったことも、怒ってたけどすぐ何時ものキールに戻ってくれた。メルディが事心配してくれたのが分かったから、それが凄く嬉しかった」

「―メルディは、キールの事好きか?」


なんて見当外れな言葉。
発してしまってから後悔した。
キョトンとして自分を見返してくる瞳も、少し首を傾げたその仕種も、全てが愛くるしかったが今は逃げてしまいたかった。


「キール?スキよ」

「そ、か」

「リッドもファラも、皆スキ。どしたか?」


メルディはそう言うと、俯いてしまったリッドを覗き込んだ。
しかしリッドは覗き込んだメルディの視線から逃げるようにして、彼女と目を合わせないようにしてしまった。
リッドは彼女の言う「好き」が怖かったのだ。


――キールが好き、リッドが好き、ファラが好き――


彼女の好きはきっと自分が問うたものの答えではない。
それでも最近メルディから聞く話の大半に出てくるのは『キール』という名前だ。
それがどういう意味なのか、今の彼女が理解していなくても自分には分かってしまう。


「メルディは」

「なにか?」

「キールとキスしたいと思うか?」

「え?」

「俺が聞きたいのはそういう『好き』ってことなんだよ」


彼女自身が気付いていないのならばそのまま気付かせないままでも良いのに、わざわざ彼女の気持ちに再度問い掛けるようなことをしたのは何故だろうか。
答えを待ちながら思ったが、それをかき消すようにリッドはふるふると頭を振った。
ただ、聞きたかったからだ。
メルディがキールとキスを交わすことを許すのかどうか。
キールとのやり取りを楽しそうに話す彼女を見る度に、幼馴染に抱いた炎のような嫉妬をどうにかしたかったからだ。
だからこんな追い詰めるような質問をしてメルディを困らせているのだ。
その答えが必ずしも自分を救ってくれるものとは限らないのに。


「キールとキス…」


俯きかげんで顔を真っ赤に染めたまま呟く彼女に、リッドはどこか苛立った気持ちで答えを待っていた。


「キスしたことないから分からないよ」


彼女が出した答えは至極簡単であり、また子供のような答えでもあった。
いや、子供でもそんな答えは出さないかもしれない。


「そうか」

「!!!!!」


次の瞬間リッドが取った行動に、メルディの目が一杯に開かれた。
元々大きな瞳がより大きく開かれて、そこには驚愕の色が宿っている。
触れている唇がとても熱くて、リッドの腕から逃げようとするがそれも叶わない。
逆に逃げようとすればするほど彼の腕が強く身体を締めるので苦しくて仕方がなかった。
リッドは初めて触れる彼女の唇に、灼熱の想いを感じて離れられなくなっていた。
触れれば甘いと思っていた唇は思いの外熱く、痺れたようになって感覚も無くしてしまう。
触れ合った場所が溶けた鉄のように感じるのは、彼女が放つ熱のせいだけではないだろうという事だけが今唯一分かる事だった。


「リッ…ド…!!」


より深く口付けようと一瞬離れた唇から、彼女が苦しそうに名前を呼んだ。
何時もの自分なら彼女が名前を呼ぶ声で止められたかもしれない、でも今はそれでも彼女の唇から離れられない。


「はっ、んぅっ」


息が出来ずに苦しがるメルディに、リッドは尚も口付けを繰り返す。
何時の間にか彼女の舌を追うような深く激しい口付けになっているのに、彼自身気付いていないかもしれない。
酸欠状態になり、立っていることさえも辛くなったメルディが力なく座り込みそうになったのを腰に回した手で押さえると、そのままグイと自分の身体に押さえ付けるように引き寄せる。
息も、立つことさえままならない状態の彼女の身体は何時にも増して軽く弱々しいばかりで、こうして口付けている間もどこか儚くて消え入りそうに感じる。
だからなお唇を離すことが出来なくて、激情に流されてしまった彼は途方もない時間を口付けだけに捧げていた。


「あ、ハァッ」


もう止めてとメルディがリッドの唇から逃れるように顔を背け、今までそれを許さなかった彼がようやくそれを許すと、メルディは力の抜け切った身体をリッドの腕に預けた。
ただそれはそうしたかったからしたのではなく、力の入らない身体が自分の腰を支える彼の腕1本に支えられる形で崩れてしまったというような感じだった。


「駄目だ、やっぱり、駄目だ」

「 ・ ・ ・ ・ ・ ・ 」


あまりに突然な彼の行動に怯え、言葉も無く自分を見つめるだけのメルディにリッドはただ一言いった。
自分の腕の中でうなだれているメルディを見つめれば、何故か怯えの色は見えるが怒りの色は見えない。
今起こったことを現実として受け入れているのかいないのか、それすらも疑えるような様子だった。
もしかしたらそういう風に逃げる事を無意識に覚えてしまっているのかもしれない。


「メルディ」


そんな彼女を意識の根底から引き戻すように、ゆっくりと名前を呼んで今度は優しく抱きしめた。



「ッヒ!!」


腕の中で意識を取り戻したメルディは、一瞬息を飲んで悲鳴にも似た声を上げると小さな身体をより小さくして強張らせた。


「リッド、リッド?」


小さく喘ぐように名前を繰り返すメルディに、リッドはなるべくさっきの自分の表情とかぶらないように彼女を見つめ返した。


「キスなんて出来ない。出来ないよ…」


やっと言ったその言葉に、リッドは思わず抱きしめる腕に力を込めてしまった。
突然の質問で困らせた揚句、あんな風にして彼女の唇を奪った自分。
それでも心の奥底のほうではまだ彼女に対する欲望が渦巻いている、そんな自分を浅ましいと思いながら、それでも彼女を抱きしめる腕を離す事は出来ないのだ。


「俺は心が狭いんだよ」


誰かの為に戦うつもりなんて無かった。
誰かを守る為に戦うつもりもなかった。
誰かの為に強くなりたいなんて思う事なんて一切無かった。
なのに何時からだろう。
嫌々始めた旅なのに、今はこんなにも強くなる事を切望している。
こんなにも何かを守るための力を欲している。

守れなかった時の悲しさや悔しさや自虐の思いは計り知ることが出来ない。
まして今こんなにも存在を望んでいる人を守れなかったことを考えるとどうにかなってしまいそうだ。


「強くなるから、守ってみせるから。だから…」


こんなにも恰好悪い自分、こんなにも不格好で情けない自分、それでも離す事が出来ないこの想い、激情、炎のような嫉妬、灼熱の唇。


「リッド――」


未だ意識が朦朧としているメルディが譫言のように自分の名前を呼ぶのを聞いて、リッドはただ悲しくて切なくて彼女の身体をキツく抱きしめるだけだった。


スポンサードリンク


この広告は一定期間更新がない場合に表示されます。
コンテンツの更新が行われると非表示に戻ります。
また、プレミアムユーザーになると常に非表示になります。