※当初「尚愛しい」の二年生時として書いていたのですが、別次元の二年生きり乱という事で。


それは今から丁度一年前くらいだろうか。
突然沸いてきて、そして今もずっとこの胸の中で燻っているものがある。
それが何であって、どういう名前がついているのか、自分は何一つとして分からないけれど、これだけは確かに分かる。
それはとても厄介で、悲しくて、不自由で、我が儘なものであるということだ。
そうでなければこんな感情が生まれる筈が無い。
今までずっと仲良くしてきた彼に、こんなに冷たい態度を取れる筈もない。

こんな感情、到底受け入れられるものでは無い。


「ねぇきり丸、最近なんか変だよ」


図書委員の仕事へ向かおうとしていたきり丸にそう声をかけたのは、二学年に上がった今年も学級委員長を任されている庄左エ門だった。
戸にかけた手はそのままに「何が?」と聞き返す。
彼が何を言いたいのかなんて本当は気づいていた。クラスメート達がそれを気にして居るのも。
その上でしらばっくれた顔をして聞いているのが分かっているのだろう、庄左エ門は軽く溜息を吐いて「乱太郎のこと」と短く答える。


「乱太郎、ね」

「ぼくが何を言いたいのかなんて分かってるだろ?」

「・・・・・・」

「いくら仲が良いからって、最近のきり丸の態度はあんまりだ。この間だって一緒に出掛ける約束をすっぽかしたろ?乱太郎淋しそうにしてたよ。それに仲良くしてるかと思えばいきなり怒り出したり、冷たい態度であしらったり。乱太郎は優しいからそれを許してるみたいだけど、振り回される乱太郎やしんべヱが可哀想だよ」

「それ、乱太郎が言ったのか?」


庄左エ門の口が一度閉じるのをしっかり待ってから、きり丸はそう言った。


「え」

「俺が約束をすっぽかしたって、乱太郎から聞いたのか?それで庄ちゃんが慰めてやった?」

「ぼくはそんな話をしてるんじゃ・・・・・・!!」


教室の戸の前で二人が今にも喧嘩を始めそうになったその時、一番最初に動いたのは以外にも喜三太だった。


「は~い、終わり。きり丸ぅ、図書委員の仕事に遅れるよ?庄ちゃんもほら、良いから良いから」

「ちょ、喜三太!ぼくはきり丸と話が!」

「い~いからぁ」


グイグイと庄左エ門の腕を引っ張り教室の奥へと連れ込むと、きり丸に向かってヒラヒラと掌を振る。
それを見たきり丸は一度庄左エ門に視線をやると、そのまま無言でスタスタと教室を出て行ってしまった。


「喜三太!何で邪魔するの?!」

「だぁってぇ」

「皆だって気にしてただろ?きり丸の態度のこと」

「庄ちゃん、確かにそうなんだけどね。あの言い方じゃ駄目だよ」


喜三太に良くやった!とサインを送ってから、三治郎が庄左エ門を落ち着かせるように座らせる。


「駄目って、一体何が」

「だってあれじゃきり丸の心を逆撫でするもの」


三治郎の言いたい事がいまいち呑み込めず、庄左エ門は首を捻るばかりだ。


「一体何のこと?」

「庄ちゃんってば普段は冷静で鋭いくせに変な所で鈍感なのね」


側で話を聞いていた伊助までもがそんな事を言ってくる。


「だから!!」


説明をしてくれと口を開きかけた庄左エ門を遮って、三治郎が窓の外を眺めながらゆったりとした口調で話し出す。
その視線の先には、校庭の隅で赤い髪を揺らしている乱太郎と、そんな彼と楽しそうにお喋りをしているしんべヱの姿があった。


「きり丸はさ、気付いてないんだ。自分が乱太郎にどんな感情を抱いているのか、それが本当はどんなに優しいものかってことを」


三治郎がそんな光景に優しく目を細めると、それに気付いた乱太郎としんべヱが下でブンブンと両手を振ってくれた。
それに益々目を細めて手を振りかえすと


「ちゃんと分かればこんなに優しい気持ちになるって、まだきり丸は知らないんだよ」


そう言って、視線の先にある姿に向かって一層優しい顔で笑ったのだった。

一方、溢れ出る苛立ちを隠す事もせずに図書室に向かって歩いていたきり丸は、校庭の片隅でしんべヱと楽しそうに話し込んでいる乱太郎の姿を見つけて足を止めていた。
きゃっきゃと笑う乱太郎の表情に、その仕草に、胸の奥がギュウッと抓まれるような感覚がする。
あの顔をずっと見ていたい、そうやって笑っていて欲しいと思う。
それは間違いなく本当だ。でも、そんな思いも簡単に薄暗く嫌な感情に変わってしまう。
乱太郎が視線を外すから、違う所を、違う人を見て笑うから。
心配をし、涙を浮かべ、時に悲しそうな顔をするから。
その度に、何で、どうしてと自分の心にヒビが入っていくのを感じていた。
そしてそうやって出来た歪みをどうする事もできず、結局それはそのまま乱太郎へとぶつけられていく。
その度に、乱太郎は「大丈夫?嫌なことでもあったの?」と優しく問う。
それがまたきり丸の心を千々に乱す。もうどうしようもなく最低な悪循環の出来上がりだ。
優しくしたい、困らせたくなんてないのだ、でも自分はいつもすぐに間違えてしまう。
そんな自分に乱太郎は何時も責める事なく笑ってくれるから、申し訳なくて、悲しくて、どうやったら良いのか分からなくなって余計に間違える。
そんな事をもう半年も続けていた。


「いい加減にしろよ、きり丸。いつか本当に嫌われるぞ」


自分に言い聞かせるように呟いた時、乱太郎としんべヱが校舎に居る誰かに向かって手を振っているのが見えた。
場所からして、それは自分の組の教室だろう。
にこにこと笑って大きく手を振る乱太郎はとても眩しく、ああ、あの顔はとても良いな、そう思う。
それなのに、次の瞬間には何だかどうしようもなく悲しくなった。
彷徨いだす自分の視線をどうにかしようと、さして知りたくもないのに乱太郎の視線の先を確かめるように探る。
するとそこには手を振る三治郎の姿があって、その三治郎の頬や目元が見た事もない位に優しい桃色をしているのが見えてしまった。
ザワリと耳の奥で波が立つ音を聞きながら、きり丸の視線は一瞬にして乱太郎に戻される。
そこには三治郎程ではないが目元を桃色に染めた乱太郎の顔があって、それを見止めた瞬間、きり丸は逃げるように走り出していた。
その姿を乱太郎の瞳が追いかけているとも知らずに。


――ドッ


図書室の戸に乱暴に手を着いて、きり丸は整わない呼吸と心臓の音に眉をしかめた。
それ程長い距離を走ったわけでもないのに、この胸の苦しさは何なのだろう?
ギリギリと締め付けられるようなその痛みに、思わず着物の胸元を掴んで力を込めた。
何とかその痛みをやり過ごそうとヒュウヒュウと浅い呼吸を繰り返すが中々上手くいってくれない。
そんな事をしていると


「きり丸?」


そう背後から名前を呼ばれた。
控えめに自分の名を呼んだその声に、瞬間全身が粟立ったのを感じる。


「乱たろ――」


首だけを動かしてそちらに顔を向ければ、思った通りの人物が心配そうな顔でこちらを見つめていた。


「きり丸、大丈夫?」


乱太郎は静かな足取りできり丸の傍までやってくると、図書室の戸に預けるような形で置かれている腕にそっと触れる。
「何で」だとか「どうして」だとか、きり丸の喉には言いたい事が溢れて詰まるが、どれも言葉にはならなかった。


「走ってくきりちゃんの姿が見えたんだけど、何か、何か追いかけなきゃって、そんな気持ちになって。ごめんね、迷惑だった?」


心配そうに自分を覗き込む乱太郎の顔に、先程見たあの光景が重なって見える。
明らかに違う乱太郎の表情。


「三治郎のとこに行かなくて良いのか」


ようやく絞ったように紡いだ言葉も、結局乱太郎を困らせるだけに終わってしまう。
こんな事が言いたい訳じゃないのに、どうして上手くいかないのだろう。


「三治郎?」

「三治郎とお前、笑ってただろ。あんな顔して」


優しい顔で、優しい空気で。


「わたしはきりちゃんの所に来たかったから此処にいるんだよ」

「・ ・ ・ ・ ・ ・」

「ねぇ、きりちゃん」


柔らかいものとか、優しいものとか、そんなものだけで出来ているのでないかと思わせる音で自分の名前を呼ぶ乱太郎に、きり丸は何故か無償に悲しくなって顔を伏せた。


「おれ、最近お前に辛そうな顔や困った顔ばっかりさせてるんだな」


三治郎と手を振り交わす乱太郎を見て思った。
自分と一緒にいる時の乱太郎にあの表情が浮かぶ事は滅多にない。
いや、記憶の中の乱太郎はよくあんな風に笑ってくれていた。
それはまだ知り合ったばかりの頃、一年生だったあの頃は、三治郎に向けられたあの優しくて穏やかな笑みが自分にも向けられていたはずなのだ。
それが今はどうだろう。
我が侭な自分に振り回されて、詰られて、困った顔や悲しそうな顔ばかりさせている。


「バカだなぁ、きりちゃんは」


しかし、ただ俯いていたきり丸にかけられた言葉は予想と全く違うものだった。


「は、―」

「わたしはね、自分の意思できりちゃんの傍にいるんだよ。今も、今までも」

「 ・ ・ ・ ・ ・ 」

「それにね、わたしはちゃんと笑ってるよ。きりちゃんの傍で、きりちゃんの為だけに笑ってるよ」

「そんなの」

「ねぇ、ちゃんと見て。わたしをちゃんと見てよきりちゃん」


柔らかな両手で頬を捕まえられて、クイ、と顔を上げさせられる。
そこには先程も見た桃色の笑顔が一杯に広がっていて、そんな顔で笑う乱太郎は「ね?」ときり丸に向かって一層優しく微笑んだ。


「乱太郎――」

「ね、今までだって、今だって、わたしはきりちゃんの隣で笑ってるんだよ」


コツン。と自分ときり丸の額をくっ付けて、乱太郎は温かい手できり丸の頬を撫でる。


「乱太郎、乱太郎……」

「うん、きりちゃん」

「乱太郎、」

「うん」

「乱太郎」

「ふふ、はぁい」


何度も、何度も、確かめるように名前を紡ぐきり丸に、その度乱太郎はしっかりと答える。
乱太郎が頷いて返事をするたびに、きり丸の心は穏やかになっていった。


「傍にいろよ」

「うん」

「離れるなよ」

「うん」

「ずっとだぞ」

「うん」


そうして額を合わせたまま、きり丸は何度も乱太郎に言葉を投げ続けた。
どうしてこんなに悲しい思いをするのか、どうしてこんなに悔しい思いをするのか、無自覚なままにそんな事ばかりを考えていたきり丸の心に、一つ言葉を発する度に少しずつ何かが芽生えて育っていく。


「乱太郎」

「うん」

「おれ、お前の事が好きだよ」


するり、ほぼ無意識に零れ落ちたその言葉に、何故かきり丸の方が泣きそうになった。

ああ、そうか。自分は乱太郎が好きだったのか。

あやふやなまま宙に吊り下げられていた気持ちに今この瞬間名前が付いて、ようやくきり丸は全ての気持ちを受け入れる事が出来そうだと思った。


「お前が好きだよ」


でも、今はただその一言を伝えるのに精一杯だと、心の中で思って泣いたのだった。




ふへへ、コレ冒頭のやり取りとかいらなかったんじゃね?とかなんつう尻切れトンボだよ、とか色々あるけどまるっと無視の方向で。


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