きり丸が忍術学園に入学して数ヶ月、季節はすっかり夏に変わろうとしている。
暦は夏に入ったばかりであるが、陽射しは格段に明るく強くなり風も変わっていた。
とはいえ茹だる様な暑さは全く無く、まぁ過ごしやすい時期であると言っていいだろう。
そんな時期の休日である今日、清々しく気持ちの良い時間を無駄にしてなるものかと一年長屋では色んな声が響いていた。
やれ「今日こそ布団を干せ!」だの「洗濯をしろ!」だのと声を張り上げているのは、同じは組に所属している綺麗好きで掃除が得意な伊助か。
それに対して「いいやこんな日は是非体力作りをしなくては!」「そうだ、こんな陽気の日は遠乗りをしない手はないんだ!」と若干上ずった声でやり返しているのは
これまた同じは組に所属している虎若と団蔵だろう。
しかし、だ。
先日の無茶なアルバイト内容についてこっぴどく土井に絞られ
本日はアルバイト禁止!と言い渡されてしまっていた、珍しく、本当に珍しく休日を自室で過ごしていたきり丸は何故かこの空間がとても暑く息苦しく感じられていた。
落ち着かないというか、何となく居心地が悪くて仕方無い。

原因はなんだ?

急に気付いてしまった「暑苦しい、落ち着かない」という状況の原因を、回らない頭で先程からうんうん考えているのだが一向に答えは得られない。
部屋の中は物が散乱していてお世辞にも綺麗であるとは言えない状態だが、残念ながらこれは普段と変わらない。
今も声を張り上げている伊助がこれをみたら、青筋を立てて掃除に追い立てられるんだろうなぁ、言われてもしねぇけど。と、思考が少しばかり外れた。
さて、思考を戻してみても障子は開け放してあるし、気温が急激に上がったのだとも考えられない。
そもそもが風通し良く造ってある家屋でこんなに熱がこもるようなこと普段では全くあり得ないのに。

何だ?何か違いがあるか?

若干眉頭を寄せながらぐるりと部屋の中を見回せば、少し離れた所に座り、借りてきた本の字を静かに追っていた2つの瞳が不思議そうにこちらを見つめていた。
同室の級友、猪名寺乱太郎だ。


「きりちゃん?どうしたの?」


パチリとぶつかった瞳を逸らす事なくそう言って、乱太郎はコテンと首を傾げる。
それは出会った時から見られる彼の癖で、誰かにものを尋ねる時、疑問を抱えている時などに良く出るものだった。


「や・・・・・・」

 
何でもナイぜ?そう続けようとして1つ気付く。
そうだそうだ、あったじゃあないか、何時もと違う何かが。


「しんべヱが居ない」

「はぁ?なに言ってるのきりちゃん。しんべヱはおシゲちゃんとお出掛けしてくるねって朝早くに出てったでしょ。きりちゃんも返事してたじゃない」


今気付いた。といわんばかりの顔で、返事になっているようななっていないような言葉を返してきたきり丸に乱太郎は益々首を傾げてしまう。


「あれ、でもしんべヱが居ないならこの部屋はもうちょっと涼しくても良い筈だな」

「それ、しんべヱが聞いたら怒るよ。ていうかさっきから何なの?
暑そうにしてるなぁと思えば眉間に皺寄せて何か考え込んでたみたいだし。そうかと思えばキョロキョロしちゃって」

「何だ乱太郎ずーっと見てたのか?目減るだろうが、銭取るぞ」

「きりちゃん!!」

「冗~談だよ」


適当な返事を返すと、ぷぅと頬を膨らませて再び読書へと戻って行った友達に背を向けてゴロリと寝転がる。
普段との相違を挙げようとしていた自分が唯一気付いた点がしんべヱだったのだが、先に自分の口から出た言葉通り、今自分が抱えているこの暑苦しさを説明できるものはそこには無かった。
しんべヱには悪いが、実際他の同級生よりも大きめな身体が同じ空間に居ると若干温度が上がったように感じてしまうのだ。
空気や気配の動きは凄いし(そこまで鋭敏に気配を感じる程の能力は未だ持ち合わせていないが、そう感じてしまう)常に何かを口に入れモゴモゴと動かしている彼は熱量が凄い。
その彼が居ないのだから、それなら今は普段より涼しく感じなければおかしいではないか。


(何だかなぁ、何だってんだ)


考えても考えても一向に答えが出る兆しは無い。
これには流石に嫌気がさしてくる。
大体ドケチの自分はこういう無駄な堂々巡りは苦手なのだ、はっきり言って時間の無駄である。
『時は金なり』なのだ、本当に勿体無い。
と、そしてここでまた一つ気が付いた。というか、はたと思った。

あれ、じゃあ今乱太郎と俺はこの部屋に二人っきりなのか、と。


(・・・・・・。??、?!?!)


思った途端、それまで感じていた居心地の悪さが一気に増したような気がした。
ドコドコと胸が妙な速さと音で鳴り出したからだ。


「あ?!」


きり丸は着物の胸元をギュウと掴み、短く浅い息を一つ吐いた。
全速力で走った時のようなあの速さでは無い、授業で走らされるマラソンの時のようなソレでも無い。
それよりも遅い、が、浅く深く呼吸を繰り返し落ち着かせなければ呼吸が苦しいと思う位には乱れている。
それに一回一回の鼓動の重さが違う、トクトクトクと小動物の心臓のように繰り返されるあの速さ重さではなく、ズクンズクンと耳の裏に響き、胸の肉を突き破って飛び出してきてしまうのではないだろうか?と心配になるほど重く胸を打っている。


「なぁに?」


吐き出したものを取り戻す為にヒュと息を吸い込んだ時、背後からそう声をかけられたが、今はいけない。
先程思わず漏れた自分の声が案外大きかったものだから、乱太郎が興味を持つのは当然の事だろうが。


「何でもない、デス!」

「えぇ?ん、もう」


掛けられたその声に鳥肌が立つ程驚いて、きり丸は瞬間小さく丸くなりながら返事をした。思わず「デス!」と声が裏返ったことは無かったことにする。
そんな両膝を抱え込んだ上に顔を埋めているという、とてもじゃないが何でもなくはないだろう姿を、幸か不幸か乱太郎が見る事は無かった。
何でもない!と言い切った為興味を失ったのか、あまりに挙動不審で逆に突っ込みにくかったのか「今日のきりちゃん本当に変なんだから」とブツブツ呟くだけでこちらを覗き込むことをしなかったためだ。


(何だこれ、どうしちゃったんだ俺は)


結局心の中でだけジタバタと暴れ倒したきり丸は、少しだけ落ちついた気がしてほんの僅か顔を上げてみる。
頭だけそろりと背後に向けると、乱太郎の後姿が目の端に見えた。
今はその表情は見えないが、きっとまだ頬を膨らませているに違いない。

その顔が可愛いんだよなぁ。

と、そんな風に思ってしまって、折角落ち着きかけていた心臓がまたドコドコと急激に跳ね始める。今度は顔が熱くて熱くて仕方ないとうおまけまで着いてきた。
実は先程の心臓の暴走時にだって、きり丸の顔はこれでもかと言うほど真っ赤に染まっていたのだが、あまりの心音と鼓動の重さに驚き過ぎてそれに気がついていない。


(うあぁ、乱太郎といると心臓痛い、変。何なんだよこれっ!)


そして再び小さく丸まったまま顔を上げることが出来なくなってしまったきり丸は、今は何故か遠くに聞こえる伊助の怒声に全神経を集中させて心底こう思った。


(部屋の掃除しろって怒鳴り込んで来てくんねぇかなぁ)


そんなきり丸の心臓が、しんべヱが「いってくるね!」と言ってトタトタと走り去った直後、乱太郎にニコリと微笑まれた瞬間からもう既に少し早かったのだという事実は
本人に気づかれることなく彼の胸の奥に仕舞われていったのだった。



待宵草(マツヨイグサ:ほのかな恋

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