ネレイドに精神を乗っ取られてしまったシゼルとの悲しい戦いから半年、メルディと共にセレスティアに残ったキールは相も変わらず研究、研究とあちこちを走り回っていた。
おそらくインフェリアに戻ったのであろうリッドやファラ達とは未だに連絡が取れない。
完全に分断されてしまった2つの世界は驚くほど、途方も無く遠くなっていたのだ。
しかし、それでも何とか彼等ともう1度再会したい、会ってお互いの無事を確認したい。
そんな想いに突き動かされるようにしてキールは日々を研究に没頭しながら生活していた。
それに是はメルディの願いでもある。
彼女が強く願い、淋しそうな顔をするのに、何もしないではとてもいられなかったのだ。


「はぁ…やれやれ…。これじゃ今日も帰れそうにないな」


研究に没頭するあまり、キールは最近家に帰る事すら忘れていた。
彼の暮らす家は新しく建て直したメルディの家、しかし彼がそのメルディの家に帰った日はまだ数える程しかない。


「メルディの奴、もう寝たかな」


フと時計に眼をやり、2時を過ぎたのを確認して無意識に呟く。


「アイツは寂しがりだからな…」


無意識の呟きに気付き、メルディが寂しがりな事を思い出す。
そして考える。
そういえば最後にメルディの待つ家に帰ったのは何時だっただろうかと。


「・・・・・・」



ガタンッ!


勢い良く立ち上がった反動で椅子が倒れる。
ハッとした表情でその場に立ち上がったキールは、次の瞬間コートを乱暴に引っ掴み、同じく乱暴な仕草で扉から外に飛び出して走りだした。


「そうだった」


急に帰りたくなったのだ。
無意識に呟いてしまうくらい気に掛けている癖に、大事な事を忘れていたから。

メルディは1人にされる事が恐いのだ。

実の母親に実験台として扱われ、悲しいさと悔しさと切なさで苦しんできた。
実の母親を敵とした戦いを決意し、故郷や愛する人達まで奪われて、それでも大丈夫だと笑って。
そんな彼女が1人にされる恐怖に怯えないわけがない。
また何時誰が居なくなってしまうのか、そんな暗い思いを抱かないわけがない。
それを分かっているつもりだったのに。
分かっているつもりだったのに…!


「!!」


森の中を走りながらゼイゼイと息を繰り返すキールは、ぼんやりと浮かぶ小さな光を見つけて立ち止まった。
この世界に来てからは見慣れたその光、しかしこんな時間にこんな森の奥で…?


「誰だ」


森にぼんやりと浮かぶ小さな光、それはセレスティア人特有の額飾り、エラーラから発せられる光だった。
しかしその光はまだ小さく、光っている位置も低い。
その高さは子供の背丈くらいのものだろう。


「あれ?その声…」


問い掛けられた光の持ち主が答えた。


「え…?まさか…」


答えた声はまだ高く、確かに子供の声だった。
しかしその聞き慣れた声は…


「キールぅ!!」

「やっぱりボンズか!」


その光の持ち主はサグラの元で暮らしているボンズのものだった。


「お前どうしてこんな時間にこんな所にいるんだ!」


研究室を飛び出して来たのが2時少し過ぎだったので、今は2時30分位になるだろう。
そんな時間に森の中をウロウロしているなんて危険すぎるではないか!


「大丈夫だよぅ。この辺は人の手が入ってるからモンスターも来ないもん」

「しかしこんな時間に外出なんてしていたらサグラが心配するだろう!」

「そのサグラと一緒に来たんだよ。この時期夜にしか捕まえられない、薬になるモンスターを捕まえに来たんだ。僕は森の奥に入ったら危ないから此処で待ってるんだぁ」


言われて見れば確かにサグラの上着がそこに置いてある。


「なら良いが…。でも気を付けろよ?」

「大丈夫だよー!サグラが僕にって作ってくれた晶霊銃があるから!」


見て見て!と、得意気に銃を掲げてみせる。


「そいでキールはそんなに急いでどうしたの?」


上がっていた息が少し整ってきたキールに「そういえば」とボンズが尋ねる。


「帰る、所だったんだよ…」


尋ねられて、再びあの焦りと不安が蘇る。
あの家に1人でいる彼女。
今頃泣いたりしていないだろうか?
不安になったりしていないだろうか?


「わぁ!良かった!メルディ喜ぶよー」


グルグルと考えていたキールの思考を止めたのは、そんなボンズの言葉だった。


「え?」

「キール最近帰ってなかったでしょ?僕、良くメルディのお家に遊びに行くんだよ。だから分かるの、メルディとっても寂しそうにしてた。
キール早く帰って来ないかなって、寂しそうにしてたんだよ。だからね、キールが帰るって聞いて安心したの。これでメルディ寂しくないもんね」


ニコニコと笑うボンズに、キールは言葉を無くしてしまった。
・・・・・・やっぱり、寂しがらせてしまっていたか。


「悪いボンズ、もう行かなくちゃ…」

「うんっ!早く帰ってメルディを安心させたげてね!」

「…有難う。すまない」

「ばいばーい!またねー!」


見送るボンズの声を背に聞いて、キールは再び走りだした。

早く、早く。早くメルディの元へ…!!


ガタンッ


勢い良く家に飛び込むと、しんと静まりかえった空間に乱暴な足音の大きな音が響いた。
ハァハァと肩で息をして、上がり切った息を何とか整えようとしゃがみ込む。
元々運動は得意ではなかったが、最近は研究室に籠もりっきりだったので余計に堪える。


カタッ


しゃがみ込んだキールに、より薄暗い影がかぶさった。
その影に咄嗟に顔を上げると、そこには眠い目を擦っているメルディの姿があった。


「メルディ…」


彼女の姿を眼に捉えてポツリと名前を呼ぶと、途端に胸の奥のほうが熱くなる。


「…お帰りな、キール」


戸惑った表情のままメルディが答える。


「ただいま」


しかしキールのその一言で、それまで嬉しいというのと信じられないという顔をしていたメルディの顔に安堵の表情が浮かんだ。


「ただいま」


もう1度ゆっくりと言う。
いよいよメルディの顔は綻び、それに安心したのかそれまで飛んでいた眠気が戻ったのであろう、再び眠たそうに眼を擦る。


「すまない、起こしたか?」


欠伸を堪えるメルディに問い掛けると、彼女はふるふると頭を横にふる。


「起きていたのか?!」


首をふるメルディに驚いて尋ねると、彼女は小さく頷いて言った。


「キール帰ってきたら、メルディおかえりって言いたかったよ。だから起きてたな。ちょっとウトウトしちゃったけどダイジョブ!起きてられたよー」

「馬鹿…。無理するなよ…」

「メルディ、バカじゃないよぅ!」

「…すまない。1人にして、寂しい思いをさせたよな」


バカじゃない!と頬を膨らませるメルディに、キールは小さな声で謝罪した。


「え?」


謝られたメルディは、何?と首を傾げる。


「ずっと帰らなかったから。メルディを1人にして、寂しい思いをさせた。不安にならない筈ないのに」


キールがポツリポツリと俯いて言うのを、メルディは明るい声で遮った。


「キール!ダイジョブ、メルディ1人でもヘーキ!ボンズやサグラも来てくれるから寂しくないな」

「メル…」

「キールがしてる研究はとても大事よ。頑張ってほしー。メルディすっごく応援してるな。だからダイジョブ!なっ?」

「…本当に有難う」

「気にしない!なっ?…ふぁ…」


言いながら大きな欠伸をもらすメルディ。


「ほら、もう寝ろよ。そんな欠伸して」

「はいな」


眠たそうに返事をしたメルディの手を取ると、キールは彼女を寝室まで連れて行きベッドに寝かせた。


「キール、ありがと」


よほど眠たかったのか、メルディはあっという間に眠りに落ちていった。
キールは暫らくメルディの寝顔を見つめていることに決め、すぅすぅと寝息をたてるメルディの顔をぼんやりと眺めていた。
寂しくないはずないのに、ボンズもそう言っていたのに、大丈夫だと笑うメルディ。


「そんな嘘、つくなよ。無理するな」


彼女の優しさが少し切なかった。
いつだって笑っている、無理しても笑っている。
もうそんな思いをさせたくないと思っていたのに…。


クンッ


「?」


椅子に座り直そうとしたとき、衣服を引っ張られる感じがした。
何かと見るとメルディの手がキールの服を少し掴んでいる。
眠りに落ちて尚離れない手。


「しょうがない奴だな…」


しっかりと掴んだ彼女の手を見つめ、そしてまた寝顔を見つめる。
安らかな寝顔が、痛くて愛しかった。
そして、こうしてメルディの顔を見ていると、何故あんなに離れていて平気だったのだろうかとも思う。
今は少しでも離れたら苦しくて仕方なくなってしまうだろうというのに。
こんなに愛しくて仕方ないというのに。


「き…ル」


キールが少し動く度にする衣擦れの音に、メルディがうわ言に自分の名前を呼ぶ。


「・・・・・」


そんな彼女の安心した寝顔に、そっと顔を近付けた。
そして、軽く、ほんの数秒だけ彼女の唇に触れる。
そして唇が離れるのとほぼ同時にキールの服を掴んでいたメルディの手が離れ、パタリという音が部屋に響いた。


「!!」


その音に我に返ったキールは、今自分がとった行動が急に恥ずかしくなり、顔を真っ赤にして俯いてしまったのだった。


――チュン、チチチ…


小鳥の囀りと、目蓋を通して映る眩しい光…。


「ん…」


昨夜、真っ赤になりながら自分の部屋に戻り、倒れるようにベッドに入ったのだっけ…。
そんな事を働かない頭で考えながら重い瞼を無理矢理押し上げる。
と…


「おはよぅキール」

「?!」

「おはよぅキールぅ!目覚めたか?」

「ぅあああああ!!」


起き抜けにメルディのドアップ、しかも吐息が顔にかかってしまう程に!
昨夜あんな事をしでかしただけに、何時も以上に反応がデカい。


「なっなっ、何してんだよ!」

「何?キール起こしにきたよ」

「あ、あぁ…そうか!分かったからどいてくれ」

「変なの?キール顔が真っ赤っかっか」

「う、煩い!」

「あ、あのな」

「な、なんだよ」


馬乗りになっているメルディをグイグイ押しやりながら起き上がると、拗ねたような声をだした。


「昨日、メルディとっても良い夢見たよ。メルディ寝るまでキールが傍にいてくれる夢!寝た後もずって居てくれたよ」

「!!」


途端に顔を真っ赤に染めるキール。


「でもなー、その後覚えてないよー。何かもっと良い事、嬉しい事あったはずなんだけどな」


メルディはキスの事は覚えていなかった。
しかし寝ていたはずなのに、おぼろげながら記憶しているとは…。


「思い出せない~」


うんうん唸っているメルディを見ながらキールは何だか複雑な気分だった。
メルディがキスの事を覚えていなくて安心したはずなのに、どこか残念に思っている自分がいる。
そして


(今度はメルディが起きている時にしよう)


恥ずかしいくせにそんな事を決心するキールなのだった…。


しかし彼は中々それを実行できずに、結局2週間が過ぎたという事です…。


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