「今オージェのピアス取ったらすっごく困るんだろうね、私達」
傍らで眠るメルディを見つめ、ファラが深い溜息と共に言葉を漏らした。
そんな彼女の一言にキールとリッドが不思議そうに傾げる。
そういえば自分達はこのピアスのおかげで話せているのだということを今思い出したという表情まで浮かべていた。
「突然なに言い出すんだよ」
訝しげに言ったリッドの言葉に、キールが「そうだぞ」と頷いて賛同して見せる。
そんな男2人の様子に苦笑を浮かべ、体勢を変えようと身をよじるメルディの髪を優しく撫でながら「だって…」と続けるファラ。
「出会ってすぐは言葉が通じないまま旅してきたから通じなくても何とか平気だったでしょ?でも今は違うんだもん。このピアスのお陰で言葉が通じて、今はそれが当たり前になってる。だから思ったんだ、今オージェのピアスを壊してしまったり無くしてしまったりしたら、私達はメルディと話すことが出来なくなっちゃうんだなって」
少し寂しそうに言いながら、ファラは自分の耳に光るピアスに少し触れ、そして同じ輝きを放つメルディのピアスを眩しそうに見つめた。
「そう思ったら、なんだか寂しくなっちゃったんだ」
寂しそうな顔を更に俯かせて彼女が呟くと、そのまま暫く沈黙が彼らを支配してしまった。
彼女が思い出した、忘れかけていた真実。
『たったそれだけの事が原因で、自分達はメルディと意思の疎通が出来なくなってしまうのだ』
そういう、何とも複雑な真実が今更ながらに彼等の心に重くのしかかってきてしまったのだった。
「確かにそうだが…でもその時は僕がいる。多少難解ではあるが必ずメルディの言葉を訳してみせるさ」
自らも彼女の柔らかい髪に触れ、キールは少し切なげに言った。
何処までも優しい触れ方でメルディの髪を撫でるキールを見つめながら、リッドはただほんの少しだけ遠くを見つめ、それでも「大丈夫だろ」と自分に言い聞かせるように呟いて寝転がったのだった。
――――真夜中。
皆が寝息をたてるテントをこっそりと出て、リッドは独り空を眺めていた。
真っ暗なセレスティアの空には、見えるか見えないかくらいの小さな星しか見えない。
これがインフェリアの夜空ならどうだろう?
そうだ。むせ返る程の星に抱かれて、自分が何処にいるのかさえ分からなくなってしまうに違いなかった。
「やっぱり星少ねぇな」
誰に言うのでもなく、ただポツリと呟いた言葉。
当然返事などないと再び小さく弱い星空を見上げたその時
「インフェリアが星はスゴかったからな~」
「?!」
突然頭上から声が降って来たので、リッドは思わず言葉を失った。
しかもその声の主が今は眠っているとばかり思っていた人のものだったので、驚きが余計に増してしまった。
「リッドが面白い顔してるよ~。ビックリしたか?」
「メルディ!お前寝てたんじゃなかったのか」
ニコニコと笑いながら隣に腰掛ける声の主を、寝転んだまま目で追いながらやっと出て来たその一言で問い掛ける。
当のメルディは空を眺めて「星、少ないか~?」と、今は見えないインフェリアの空を思い浮かべて比べているようだった。
「ん?あのな、目が覚めたらリッドの姿なかったから探しに来たよ。一緒で見よう?」
「星見るのは良いけど…明日起きられるのか?」
「何だよ~。大丈夫だよぅ!メルディそんなにお寝坊さんじゃない」
「そうかぁ?この間だってメルディが起きるの待ってて遅くなったんじゃなかったか~?」
「バイバ!!リッドがイジワル~」
ぷぅっと頬を膨らますメルディの頭をポンポンと撫でながら、リッドはさっきファラが言っていた言葉を思い出して黙り込んでしまった。
こうして彼女に触れて、無邪気な表情を見ていると柄にもなく不安を抱いてしまう。
もしも、もしも言葉が通じなくなってしまったら。
隣で笑う彼女が感じていることが全く分からなくなってしまったら…。
「俺ってこんな奴だったっけ?」
自分は元々楽天的で、細かいことを気にしたりする質ではない。
メルディが初めて自分達の前に現れた時も、言葉が通じないなら通じないなりに何とかなると思っていた。
実際キールを訪ねて行き、たどたどしいながらも彼のメルニクス語で何とかなっていたし、そのすぐ後にはオージェのピアスの力で何とかなった。
結果的に彼の考えていたとおりになってきたのだからそれで良かったのかもしれない。
しかしそれは決して本当の意味で彼女と言葉が通っていることにはならない。
実際、メルディが少し早口になっただけで途端に言葉は分からなくなるし、普通に会話をしているときでも拾えない言葉が出てきたりする。
そのたびに心のどこか奥底で「分かるようになればいい」と思っているのに、全く言葉が通じなくなってしまったら一体どうしたら良いというのだろう?
「リッド百面相~」
「わっ!!」
自分の頭を撫でながらじっと何かを考えているように黙ってしまったリッドを上目使いで見やり、その大きな瞳を不思議そうに揺らしながら笑っている。
そんなメルディの表情につられて薄く笑みを零すと、リッドは再び彼女の頭を優しく撫でてポツリと言う。
「・・・・・・メルニクス語って難しいよなぁ」
「リッド、メルニクス語覚えたいか?」
「んー、」
彼女の言葉に、少し濁した曖昧な返事を返す。
「ワイール!リッド、メルニクス語覚えたいんだな!メルディと一緒にお勉強するよ~」
そんな曖昧な返事にも係わらず、メルディはリッドが零した小さな言葉に反応してもさも嬉しそうな顔と声で跳びはねた。
しかし
「うげ、勉強は勘弁だぜ。キールになっちまう」
リッドは『勉強』という単語を聞いて、心の底から嫌がっている声で顔を歪めたのだった。
「なにか~、お勉強しなきゃメルニクス語話せるようにならないよ」
「そりゃそうだけどなぁ」
「なっ!あ、それでな」
渋々ながらも彼が勉強をしてくれるかもしれない返事をしてくれたのを聞き、メルディはニッコリと笑って言葉を付け加えようとする。
「なんだ?」
「リッドはメルディにインフェリアの言葉教えてよ」
「はぁ?」
「メルディ、皆とこのピアスなくても話せるようになりたい。だから教えあいっこするよ!そすればリッドもメルディも困らないな」
無邪気に笑い、しかしどこか強い響きをもった言葉。
それは、密かに抱いた彼女の「なにか」を感じ取るに充分過ぎるほどだった。
「あー、分かったよ」
「ワイール!約束だよ~」
「約束な」
リッドと交わした約束に、これ以上ないというくらい顔を綻ばせるメルディを見てリッドは思わず苦笑を零す。
こんな些細な約束一つでこんなにも表情を明るくする人が、この世界にどれくらいいるだろう。
そしてこんな些細なことで心から喜ぶ彼女だから、その内に秘めたものがとても痛々しく感じてどうしようもなくなった。
「こんな約束で良いなら、いくらでもしてやるよ」
未だメルディの頭に乗せたままになっていた掌をゆっくりと頬に下ろし、その小さな顔を包み込んでしまうように優しく撫でる。
くすぐったそうにクスクスと笑みを零すメルディに、リッドは出所もよく分からない痛みと愛しさを持て余して彼女の頬にあった手を肩に添えると、まるで手からすり抜けて逃げていってしまう小鳥を捕まえるかのような仕種で自分の胸に引き寄せた。
「バイバ!リッド、メルディちょっと痛いよぅ」
「怖いな…」
メルディが驚きの声と共に上げた声に少しだけ腕の力を緩め、彼女の耳元近くにあった唇で小さく呟く。
その『怖い』の一言に、メルディの肩がピクリと反応してまた落ち着いた。
「リッドも怖いものあるか…?」
力を抜いてくれたとはいえメルディにしてみればまだまだ強い力で抱きしめる彼の腕の中、彼女は確かめるように彼の独り言のような言葉に聞き返す。
「ん?あぁ、普段は怖いなんて感じることねぇんだけど。これだけは怖いな」
「なにか?」
リッドの声はメルディの耳元近く、メルディの声はリッドの胸元から、囁くように踊って吸い込まれていく。
しかし問われた言葉に返事を返せないまま、リッドはただ暫く彼女の小さく細い身体を抱きしめていた。
「凄ぇ些細なことだよ。メルディと言葉が通じなくなったらって。そう思ったら怖くなった」
数分の沈黙。
それを破ったのはこんな彼の言葉だった。
「メルディと…言葉…?」
意外も意外。
あのリッドがまさかそんなことを怖いと口にするなんて…。
「もしもメルディと言葉が通じなくなったら…。メルディの思ってることを分かってやれなくなったらって思ったら急に怖くなったんだよ。――今更だよな。初めて会った時はそれでも平気だったのに」
「リッド…だからメルニクス語覚えようと思ったか」
「そうだよ。今は正常に働いてるオージェのピアスだって、いつ壊れちまうか分かんねぇだろ?ファラが言ってたんだけど、そのことすっかり忘れてたから。思い出したら怖くなった」
言葉を交わしながらもメルディの身体から一向に離れないリッドの腕。
緩めた筈の力は、少しずつまた戻ってくる。
そんな彼の言葉を黙って聞いていたメルディだったが、身をよじってほんの少しだけリッドの腕から離れるとまっすぐに彼の瞳を見つめて言った。
「メルディもピアスは無くても皆とお話出来るようになりたいと言ったな?」
「え、あ、あぁ。言ってたな」
「最初はな、メルディが初めてインフェリアに来たとき皆と言葉通じなくて大変だったから覚えたいと思ったよ。えと…なんて言うんだったか?ギムカン…?それだった。でもな、今はそうじゃない。ちゃんと皆がこと知りたい、分かりたい思ったから。言葉を覚えることは相手を知るキッカケになるからな。それに、今はこのピアスに助けられて話してる。それは悪いことじゃない思うけど、これが無くても話が出来るようになれたら皆ともっともっと仲良くなれるはずよ。それってとても素敵なこと」
「メルディらしいな」
「誉めてるか?」
「誉めてんだよ」
少し言葉を探す間を作りながら、それでも自分の伝えたい事を一生懸命になって口にするメルディ。
セレスティアンの特徴なのかどうなのか、彼女は何時でも素直に思うことを伝えようとする。
それが愛しくもあり、苦笑の対象でもあり…。
そう思ったら、自分の胸から離れた彼女の身体がたまらなく恋しくなって、やっぱり彼女にしてみたら少し強すぎる力で自分の胸に引き寄せ抱きしめた。
「リッド、頑張って勉強しよな?ピアス無くてもお話出来るようになるよ。それでリッドがメルニクス語話せるようになったらナイショ話する」
「なんだよ…内緒話って/////」
「あ、でもキールには分かっちゃうか~…これじゃダメだな~」
「内緒話はともかく、ピアスが無くてもメルディと話せるようになりたいしな。勉強なんてしたくねぇけど、まぁ頑張ってみるぜ」
「ワイール!リッド~」
「ぅわっ!!」
ギュウッと自分の背中を掴む小さな手の感触を感じて、リッドは思わず驚きの声を上げる。
自分がメルディを抱きしめるのは平気で、相手から抱きしめられるのは恥ずかしいだなんて。
なんだか笑ってしまうではないか。
でも、それでも彼女が込める自分よりは弱いその腕の力に余計愛しさや恋しさや募る想いが込み上げるのは事実で、その込み上げた強く大きすぎる想いを彼女に伝える術は、今の彼が知るところ自分もまた彼女の身体をキツく抱きしめ返すことでしかなかった。
「メルディ、リッドのこと好きよ」
暖かく強い腕に包まれて、リッドは今確かに自分の中で開花した、大輪の花を思ったのだった。
スポンサードリンク